現在の石垣山一夜城の本丸と往時の推定想像復元(本丸段の右手が北門、後方に天守)
 
(FLASHで移り変ります)
 年 表
: 石垣山一夜城は豊臣秀吉が小田原合戦の際に小田原城下の南方260mの山に築いた陣城なのだが、穴太衆を呼び寄せて作った総石垣の縄張を持つ城は東国では初めてとなるほどの本格的城郭だった。天正18年3月から後北条氏と秀吉軍との合戦が始まり、4月に秀吉軍の小田原包囲網が出来上がりこの時期から石垣山城の築城が始まったとされる。6月にはほぼ形態が整い早雲寺に本陣を置いていた秀吉が石垣山城に移り、。翌7月に北条氏が降伏し陣城であるこの城の役目は終わる。 : 現地でこの城を見るとこの規模の城が数ヶ月で出来上る当時の技術力に驚き、合戦が終われば用のない陣城にさえ本格的城郭を作れる当時の秀吉の力を実感します。小田原城もみまわれた江戸時代の数度の地震や関東大震災で石垣の多くは崩れてはいますが、城郭全体は近年に整備され各曲輪の保存状態も良好です。また、この城で特筆なのは井戸曲輪で谷状に曲輪全体が掘り込まれその四方を石垣が囲み、ここは城内で最も石垣が残る場所で穴太衆の野面積の確かさを実感できる。またその空間は全国の数ある城でもなかなか味わえない異次元的なもの。この曲輪を見るだけでもこの城に行く価値はあると言えます。



石垣山一夜城のいま




写真のコメントは拡大に載せています。
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関白道と呼ばれている登城道ですがさほど勾配はきつくありません。
関白道(登城道)
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大手門跡付近です。往時は正面の石垣はせり上がっていたことでしょう。
大手門跡付近
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本丸跡です。南端に天守台跡のわずかな高まりがあります。
本丸跡
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北曲輪の展望台からも市街が展望できます(戦略のための山城ですからかなりの場所から小田原城を見下ろせるのは当然?)。(赤矢印が小田原城天守)
北曲輪からの展望
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馬屋曲輪(二の丸)から見上げた本丸跡です。左手に大手門跡、右手が二の丸跡広場です。
本丸西側面
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二の丸の北端の櫓台です。この櫓台の脇に井戸曲輪に下りる道があります。
二の丸櫓台
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本丸から馬屋曲輪(二の丸)をみます。
本丸から二の丸と市街展望
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感動の井戸曲輪です。全国でも井戸だけの曲輪でこの規模は珍しいでしょう。右下の窪みが井戸で、谷の湧き水を利用したものとか。
井戸曲輪1
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現在は土砂や落ち葉で井戸にむかって傾斜していますが、往時は整地された中心に井戸が穴を開けていたと思います。写真ではスケール感がわかりづらいですが思いのほか広いです。石垣の壁に囲まれ井戸だけを守るこの静謐な空間は古代遺跡のようにも感じます。
井戸曲輪2
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この井戸曲輪が一夜城のなかで最も多く石垣を現存しています。江戸時代の数ある地震や関東大震災でかなり崩れはしていますが運よく残っている石垣面の野面積はガッシリ組み込まれ圧巻です。秀吉に呼ばれ東国まで出向いた穴太衆の誇りを感じます。
井戸曲輪3
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本丸の展望台からは小田原市街(城下)が一望できます。(赤矢印が小田原城天守です)秀吉も天守あたりから見下ろしていたのでしょう。
市街展望
 
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大手門跡手前の南曲輪です。大手門をはさんで向かい合う東、南曲輪は小規模です。
南曲輪
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関白道に残る曲がり桝形です。右に折れて城中に向かいます(写真は城中側からのものです)。
枡形跡