現在の名古屋城本丸跡と慶長年間の復元 (マウスを画像にドラッグしてください)
 年 表
: 名古屋城は慶長15年徳川家康が尾張の中心であった清洲からかって信長が生まれたと伝えられる那古野城の地に政都を移すために西国の外様大名20家に命じて築いた「天下普請」の城です。築城を開始して2年後には城郭の姿がほぼ完成したといわれるほどの早さで、天下普請ならではといえるかも知れない。当時関ヶ原後も存続する豊臣家の天下一ともいえる難攻不落の大坂城の向こうをはった超巨城であること、出来上がった巨城に家康の九男を城主にすることで豊臣との力の差を全大名に見せつけた。しかしまもなく元和元年大坂夏の陣で豊臣家が滅び平和が訪れると堅固な防備も必要なくなり外堀等の石垣は築かれず土居で終わっています。 :名古屋城といえば威容を誇る大天守と金の鯱。大天守は巨大なために長年の石垣の沈降で天守も傾斜し、宝暦2年に建物を解体しないで修理するという難工事をやっています。瓦も重量を軽減するために四層以下の屋根瓦を従来の土瓦から銅板瓦に変え、現在見る総銅瓦はこの時の改変です。(上図イラストの過去版は慶長時の創建天守の土瓦で描いています。)
  現在の御深井丸西北隅櫓(清洲櫓)と往時の御深井丸復元 (マウスを画像にドラッグしてください)

...
本丸御殿の礎石です。戦前まで現存していた本丸御殿が戦災で焼失しなければ日本でも超一級の文化財であったのを思うと残念ですが、まもなく復元工事が始まろうとしています。全体の完成は十数年後ですが楽しみにしたいと思います。
大小天守と本丸御殿跡。
...
現存している本丸表門の二の門です。脇塀に門の屋根が沈んでいるのが珍しいです。
本丸表門二の門。
...
二の門の扉です。鉄板の錆や破れに歳月の重さを感じますが、扉を覆っている鉄板の薄いこと。
本丸表門二の門扉。
...
東南隅櫓を本丸表門跡から。隅櫓と角石垣の重なりが美しいです。
東南隅櫓。



名古屋城のいま
...
天守入り口前から天守を見上げるとその量感にはいつも圧倒されます。現在の天守はコンクリート製の復元ですが、これが木造建築であればどれほどの質量感だろうかと。。
大天守みあげ。
...
右下ボックスをクリックでさらに拡大です。
縄張図
...
東南隅櫓と右奥は本丸東門跡です。搦手馬出の整備工事が進行中で堀にブルーシートが落ちて(置いて)?います。
東南隅櫓と本丸東。
...
小天守入り口です。この天守も復元ですが、並の天守よりはるかに大きく、二層でこの床面積はまさに鎮座しているといった感じです。この角度から見る小天守は端正で美しい姿です。
小天守入り口。
...
二の丸(左石垣)と大手馬出(右石垣。現在は消滅して西の丸と同一になっていますが。。)の境界堀です。この狭い空堀と同じものが西にもあり大手馬出を構成していたわけです。
大手馬出脇空堀。
...
御殿跡と後方の櫓は東南隅櫓です。その右手は本丸表門枡形。上方から見ると縄張がよく把握できますね。
本丸御殿跡。
...
礎石跡の巨石の間を縫って廻ると改めて大天守の巨大さを知ります。
大天守礎石保存展示。
...
大天守の巨大な流れるような石垣の壁にも圧倒されます。石垣下部は「はらみ」?でしょうか。
大天守北側の台石垣。
...
二の丸大手門跡です。
二の丸大手門跡跡。
...
清洲城天守を移築したと伝えられる清洲櫓。この櫓も他城の天守に匹敵する規模です。徳川の櫓は多少趣には欠けますが真近でみると均整のとれた美しさに完成された城郭建築を見ます。
御深井丸西北隅櫓(清洲櫓)。