現在の鳥取城跡と往時の復元 (マウスを画像にドラッグしてください)
 年 表
歴史: 鳥取城は天文14年、山名誠通が久松山(標高264m)に築いたのに始まる。当初は出城であったのを山名豊国が本城として整備する。天正8年、秀吉に下った豊国に変わり鳥取城に入った吉川経家は翌年の秀吉の兵糧攻めにより籠城4ケ月で開城して自害。変わって入った宮部氏は関ヶ原で西軍につき改易になり、池田長吉(輝政の弟)が入封し大改修をしほぼ現在の鳥取城の姿が出来る。以後、長吉の子長幸が備中松山城に移り、池田光政が入封、光政が岡山城に移ると岡山から入れ替わりに池田光仲が転封してこの池田氏で明治を迎える。
構成: 山上には山名氏時代の戦国期の荒々しい石垣と山麓には池田氏の改修した近世の城郭のふたつの顔が鳥取城にはある。山頂本丸にあった天守は戦国期のものらしく城内でも唯一の桧皮葺だったらしい。元禄5年の落雷による天守の焼失後は天守は再建されず二の丸の御三階櫓が天守の代用としている。またその頃から山頂の本丸はほとんど使用されず長吉が拡張した天球丸、二の丸が中枢部として機能して行った。享保5年の大火で初代御三階櫓は焼失し、同13年に再建されたのが明治まで残った御三階櫓で、破風の無いシンプルな形だがじつに端正で気品のある姿をしていた。天球丸(長吉の姉の名前に由来)にも御三階があり、もうひとつの天守ともいわれたがこちらは享保の大火で焼失後はついに再建されなかった。




鳥取城の要所
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城内で唯一現存の門。
丸の内から二の丸方面への門。
城内で唯一の現存遺構。
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門をぬけて階段を少し登ると二の丸の御三階櫓台が見えてきます。。
門をぬけた階段の先に御三階台
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二の丸側面石垣の積み加えた後が。。山麓曲輪の大改修の時だろうと思われます。。
石垣側面に隅石垣に積み加えた跡。
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二の丸。正面奥の石垣が御三階櫓台。
二の丸。正面に御三階櫓台の石垣。
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二の丸の北面奥。左角が角櫓跡。右手に登り石垣が見えます。
二の丸の左手。角櫓跡と登り石垣。
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御三階櫓台。高さはさほどないですが、大きな櫓(初層八間四方、二層六間四方、三層四間四方)であったのが分かります。
御三階櫓台。近年の修復によりしっかりした形を見せてます。
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珍しい曲輪の中にある登り石垣です。結構幅があるので階段でもあったのかも。。
二の丸左手隅にある登り石垣。
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狭い入り口です。
御三階櫓台の入口石段。
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菱櫓台と多聞櫓台も保全修理が済みしっかりとした形をみせています。この辺りは天球丸の石垣を奥にみて石垣の重なりが美しいです。
二の丸右手の菱櫓台、多聞櫓台。
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菱櫓台。菱櫓といっても平面の歪みは少しです。
菱櫓台と市内の眺望。
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池田長吉の姉である天球院が晩年暮らしたことから天球丸と呼ばれた。右手はまだ工事中です。
天球丸の石垣。
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あまり見かけない傾斜雁木です。
三の丸に下る途中の傾斜雁木。
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二の丸から天球丸の間にあった鉄御門跡。天球丸石垣の工事中で進入禁止。
鉄御門跡。正面が天球丸に入る坂。
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山頂の本丸入り口付近。山麓から本丸まで徒歩で約30分。かなりの勾配です。
山頂本丸入り口。
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天守台。この石垣は昭和18年の鳥取大地震で一度崩壊したとかでかなり石垣組は荒れてます。現在はスチール製の階段がありますが、本来はその右手の付櫓に入り口があったようです。若干石段が残っています。
本丸の天守台。
 
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天守台の北西に日本海と鳥取砂漠が望めます。
天守台からの鳥取砂丘と日本海の展望。
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天守台の穴蔵?らしきもの。天守入り口とは別の方向に開口している。
天守台の穴蔵らしきもの。