○寺岡家

寺岡家は私の高祖母の実家です。

戸籍では郷村とあったので、2004年になって旧土地台帳で郷村の寺岡をさがしました。

そして1軒だけあったので手紙を書きましたが、他人の家でした。

 

そこで伯父に事情を話したら、「いやいや寺岡は隣村の下村にあるぞ」と教えてくれ、下村の寺岡さんに手紙を書きましたが、返信はありませんでした。

どうして伯父が下見にあるかを知っていたかというと、昭和38年頃遺産相続で土地の相続の時にこの寺岡の土地が少し敷地内にあって、登記簿上で相続をするために寺岡さんに、放棄してもらうためにうかがったことがあるらしいのです。

伯父も伯父の祖母から「下村の寺岡が出だ」と聞いて育ったようですし(その祖母からすれば寺岡は祖父になる)

この話は大学時代にきいていましたが、郷村と下見では別の土地ですし伯父の勘違いだろうと思っていました。

しかし、「郷村にない、下村にある」ということですので思い切って、伯父と一緒にその寺岡さんの家に訪ねていき、

事情を話して、位牌を見せて頂きましたが、やはりそのなかにも私の先祖の方は出てきませんでした。

墓も見せて頂きましたが結果は同じでした。謎の多い寺岡家でした。

 

戸籍に記載されている郷村の寺岡は本当に存在したのか?もしくは明治時代の戸籍係の間違いなのか?

下村の寺岡にどうして先祖の名前が出てこないのか?本当にこの家の出身なのか?

様々な疑問があります。

調査の結果、推測を立てました。

 

はじめは下村にいたが二男などで郷村に移り住んだ。

しかし、若干の土地は下村にあり、それを伯父が相続したのではないか?ということです。

(ここで全くの嘘を伯父や伯父の祖母がいう理由もなく、信憑性は高い。)

そのため、この推測が当たっているのではと思います。

 

学んだこと

寺岡の当主と伯父と私で寺岡の墓に行きました。

そこはなんてことはない場所でした。しかも、伯父の家から300Mくらいのところでした。

そのときに伯父は「ここに60年以上住んでいるがこんなところに墓があるなんて知らなかった」といっていました。

つまり、それほど墓の場所は一族以外のものでは探すことは不可能に近いのです。

しかし、裏を返せば何とか一族を探し出し教えてもらえばかなりの確率で発見できます。

まずは直系卑属探しからです。

 

 

○石井家

石井家は私の高祖父にあたる横田勘蔵の実家です。

勘蔵は石井家の三男でしたが横田家に婿養子に行きました。

 

大学時代に石井家を電話帳で調べたら40軒以上あり、そこで面倒になりやめました。

その後、この石井家が戦国時代には地在の豪族であったことがわかりました。

石井一族がこんなにいるのも仕方ありません。

 

2003年に友人の先祖探しで感化されて、もう一度さがしてみようと思い立ち、

まず、電話帳で調べた石井さん40軒に手紙をかいたら、5〜6件返事があり、わからないとのことでした、

 

その手紙のなかには当所にきたのは自分が始めてだというかた多くいました。

現在は住宅街で昔からの石井さんもいれば、全然ゆかりのない石井さんも多く存在しているということです。返信の内容には「当主が亡くなって10年経っていますので、分かりません。生きていれば分かったかも知れない」というものがあり、ここでも大学生の時にすればよかったと後悔しました。

一応これで調査は終了しました。

 

学んだこと

町に住んでいる先祖を探すには非常に難しいものがある。(同姓でも昔からすんでいる人と新しく住んでいる人がいる)

全然つてがなく手紙を書くと、先祖を探せない(探すのが難しい)

また明治中〜末に亡くなった人物が先祖だったら比較的探しやすいが、明治20年以前に亡くなっている先祖は、探すのが困難になる。

 

 

理由

明治の中〜末に亡くなった人物は現在生きている当主の祖父か曽祖父になり分かりやすいが、

明治初期になくなった人物はさらにもう一代遡っているので覚えていない方が多い。

(よほど先祖に興味がある人以外は知らない)

 

明治初期ではまだ墓が自然石の場合も多いし位牌がない家も多いので、伝承がしっかりされている家以外は歴史の中に埋没して分からなくなる。

 

 

○追迫家

私の高祖父である坂本徳三郎の実家です(養子で迫木家にきた)

現在の水田にありました(今はいない)坂本家と500Mくらいの距離です。

大学時代に戸籍で水田にいたことは判明していましたが、実際に電話帳で調べてみても水田には追迫はありませんでした。

その代わりに、水田に一軒ありましたが、まあ関係ないものだと思い、そのままにしていました。

 

2004年に手紙を書いたらなんと水田の追迫さんが直系卑属ではありませんか!

ということで、家に伺うことになりました。

当主の方は20年前に亡くなっていましたが、その奥さんがまたご健在で、いろいろなことを教えてくれました。

「昔は分限者だったが、先祖の人が大酒のみで、財産を全部酒でつぶして土地がなくなったので、隣の隣村の水田に引っ越したのだ」とか「位牌はたくさんありますよ」といって見せていただきましたし、

墓の場所も一緒に行って確認しました。(墓は昔住んでいた家の裏にありました。)

その墓や位牌はかなり多くて、1750年代まで遡れました。(戒名と没年のみ)

学んだこと

坂本徳三郎の戸籍に一行、追迫浪右衛門二男入籍スと記載されていただけです。

大学時代にはそこまで興味もなく、実際に電話帳でしらべても水田にしかいなかったのでもう諦めていました。

しかし、2004年になってにわかに情熱が湧き、調べた結果がこのようないい結果を得たことにより、

「諦めてはいけない!もうどうしようもわからない!というところまでは調べ尽くそう」と思いました。

(結構いろいろと手はありますし、それは情熱しだいです)

 

また、奇遇なことに、話を教えてくれたここの奥さんが私の祖母と老人施設の友達だったということが、大きな鍵になりました。

手紙を書いたら電話があって「本家か分家か?」そして「ああ、あのおばあさんなら知っているよ、その孫かいね」となって、信頼されてお宅に伺うことができました。

やはり、単独よりはるかに信頼されやすいです。

 

○井上家

私の曾祖母の実家の家ですが、長年他人の家だと思っていました。

なぜなら戸籍で祖父は曾祖父と曾祖母の9男と戸籍に記載されていたからです。

まさか55歳の時に生まれたこととなりおかしいなとは思っていましたが、

戸籍にそのように記載されていたので、それきりにしていました。

 

しかし、母親から実は戸籍上では兄になっているがそれらの子供だと判明しました。

(また戸籍の信憑性が揺らぎました)

当時は移民で外国に行く人が結構おり、曽祖父母もアメリカに移住(といっても出稼ぎ感覚)しました。

当時祖父は幼く、行っても労働力として使えず、足手まといだったので、曽祖父の父親である高祖父の子供にしたらしいです。(祖父が母にそう話していた)

本人は行きたかったのに行けなくて、親がいなくて淋しい思いをしたそうです。

 

この話を最近になって分かって、曾祖母の実家である井上家を調べようと思いました。

そこで、電話帳で井上さんに手紙を書き(10軒ほど)なにか知らないか尋ねましたが、

数件返事があり、わからないとのことでした。

 

学んだこと

やはり、明治の初めが壁になる。

今までの経験上、浄土真宗の家は宗派がら、亡くなったらみんな仏になる感覚があるようで、

あまり、先祖を詳しく書き残していたり、昔からの位牌や墓は少ないようです。(あっても明治後期以降)

また伝承も少なく、よく分からないとか、知らない、興味が無いという家が多いです。

 

その反面、禅宗関係は古い位牌があったり、昔の墓があったりします。

また、伝承関係もしっかり継承している家が多いように感じました。

 

○野崎家

7代前の先祖の家です。戸籍に立石ナカの父親名で出ていました。

大学時代に、電話帳を調べると確かに野崎家が数軒あったので手紙を書きましたが

返信があり、自分の家は主人が亡くなって分からない、しかも分家の分家で本家、総本家とも断絶してしまったので分からないとのことでした。こうなったらもう探す手段がありません。

学んだこと

本家がなくなったら、位牌、墓、伝承などがすべて無くなる。

 

 

○品川家

私の高祖母の実家です。

高祖父は峰村の出身ですが、行商をしてこの村にたびたび来るうちに、

「品川」という娘とねんごろになり、結婚したという伝承が我が家にはありました。

これは小さい頃から聞かされていた伝承ですが、当時は興味もなかったので適当に聞き流していました。

品川折右衛門・・・・・・房右衛門・・・・・・・庄右衛門
          ・
          ・・・・・タキノ・・・・・・・・・・徳三郎
            (常次郎と結婚)

大学生になって戸籍を入手してみると、徳三郎の兄の戸籍に母タキノとして記載してあり

そのなかに祖父織右衛門長女とありました。

また、伝承どおり常次郎は「品川タキノ」と結婚していることがわかり興奮しました。

そして、そのときに役場の方が「織右衛門の戸籍は無いが、息子の戸籍は出せますがどうしますか?」と聞かれ、

その時は必要ないだろうと思い、「いりません」と答えましたがこれがあとになって悔やんでも悔やみきれないこととなりました。

 1年くらいたって、「品川の子孫の方(直系卑属)が分かれば、位牌や墓所が分かるのでは?」と思い、

また、「そういえば織右衛門の息子の戸籍出してくれるって言っていたよな、じゃあまた行けばもらえるだろう」

と役場に行って請求しました。

しかし、当然ながら「直系尊属では無い方は発行できません」とぴしゃりといわれました。

当たり前のことですが、一年前にはその事に気づいていなかったのです。

さらに、戸籍の原本を持ってきてくれて「これが原本なのですが、お見せはできませんと」いわれました。

ここで、「費用は多少掛かっても貰えるものは絶対に全部もらわなくてはいけない!一期一会の精神だ!」と痛感しました。

後日その話を父親にいうと、品川の旧墓なら金倉神社の近くにあると聞かされて、一緒に行き発見しました。

父親は昔からその場所は知っていましたが、「お前が聞かないから話さなかった」とのことです。

このことから、人は伝承をたくさん知っているが、聞かれないので話さないだけではないのか?と考え、

それからは根掘り葉掘り聞くように心がけています。

その墓は父親いわく「本家が年に2回くらい草を刈る」とのことでしたが、本当か?というくらいの荒れようでした。

墓を調べて見ると1750年くらいの墓があり立派な墓もありました。

荒れた墓を見るにつけ「とにかくこの墓はなんとかしなくては」という思いと

「品川家をなんとか調べられないか」という思いがフツフツと湧いてきた事を覚えています。

とりあえず、村の菩提寺のお寺に行って過去帳を調べていただいたら、品川の人の戒名が少しばかり発見できました。

戒名では落合が屋号でしたが、むかしは品川ではなく落合ではなかったのかという伝承もありました。

実際品川の所有していた土地が落合田といわれていたのでそこから屋号が落合だったのではと推測しています。

新墓には織右衛門の息子や孫の立派な墓がありましたが、孫の代以降がなく、「断絶したんじゃないか」という

ことを父親から聞かされていましたので、半ば諦めていました。

それから10年以上たったある日新聞に「行政書士の無料相談会が駅前で開催」とあり、これはチャンスだと思い相談にいきました。

なぜなら行政書士は相続関係で戸籍入手できるからです。

実はこの品川の墓の墓守を本家と分家でしていますし位牌も管理しているのですが、出来れば品川の子孫の方にその管理をして貰いたいと思っていたらしく事情を説明してなんとか請求してくれるように依頼は出来ました。父親からの伝承では子孫は断絶したと聞いておりましたのでそれを確認する為にも依頼の必要性があったわけです

しかし

これがなかなか難関でした。なぜなら、住所がわからないからです、戸籍の請求には戸主名と住所が無くては発行してくれません。

戸主名は墓等からわかりますが、住所はさすがに分かりませんので役場から「その戸籍はありません」と連絡があったみたいでした。

そこで、「いや、戸籍は絶対にある!私はこの目で戸籍の原本を見たんだ」と、何とか発行してくれるようにまた依頼しました。

言ってはいけないのでしょうが、役場の職務怠慢な気もしていました。

絶対にある戸籍をちゃんと探してもいないのに「ない」とむげに断る役場の対応にはなはだ疑問を持ちました。

確かに機械化されていない役場で、住所もわからない戸籍を探すのは大変だとは思いますが・・・。

毎日毎日どうすればいいか考えたあげくに、ひとつの方法が思いつきました、それは旧土地台帳です。

旧土地台帳には明治22年ごろから昭和30年代までの土地の所有者の変遷が記録されており、

これをみればひょっとして品川も載っており、住所もあるのではと思い法務局に行き閲覧した所、見事お目当てのデータを入手しました。

 

しかも所有者の変遷が

房右衛門(織右衛門の息子)→善兵衛(徳三郎の兄)→徳三郎(私の曽祖父)

                    甥にあたる        弟にあたる

 

こうなっており品川から土地が渡ったという伝承の裏も取れました。

ここの住所を行政書士の方に教えてみごと戸籍が入手できました。

織右衛門の戸籍は無く息子の房右衛門でしたが、前戸主として品川折右衛門とあり(織と折は違ったが)

やはりタキノの父親は品川で折右衛門だという裏もとれました。

 

そこに記載している内容から子孫が現在大宰府に在住していると分かり、手紙を書いて何か知らないか尋ねましたが、

分からないとのことでした。手紙には「電話を掛けてきてもよい」とあったので電話して詳しくお尋ねしたら、

「自分が幼い時に、父親が亡くなった為に小学校に上がる前には大宰府にきていた。(おそらく親戚のツテでしょう)そのため幼い頃のことは覚えていない。10年くらい前にこちらに墓を作って父親を入れている。位牌も父親のものは持っている。」とのことでした。

 

品川家に関して新しいことは分かりませんでしたが、子孫がいるということが判明しただけでもよかったです。

 

話は変わって、品川の墓の荒れようを見るにつけ、いつか草をとってやる、いつかきれいにしてやる、

という思いを数年後になってやっと遂げることが出来ました。

掃除をしてみると、墓所の中から石畳が出てきました。一番立派な墓も出てきました。

石畳自体はそんなに立派ではありませんが、石畳がある墓を見たことが無かったので感動しました。

墓自体にも屋根がついており、その当時としては立派なものだったようです。(ホームページの一番トップのお墓の画像です)

さらに、2004年のお盆に祖母、父、私、娘、4世代で墓参りをし、私の地方の風習にのっとり、肥松を焚き、線香をあげ、水をあげ、米もあげて帰りました。

祖母いわく

「昭和30年頃までは本家のおばあさんと一緒に草むしりもしたし、墓参りも行ったが、そのおばあさんが亡くなってからは、墓参りすら来ていない。もう30〜40年ぶりかな」ということでした。

ここまでやって、やっと心のモヤモヤが解消できた気がしました。いい供養になったと思います。

学んだこと

戸籍は、出してもらえるものは全部もらう、後からの請求では遅い(くれない)

余談ですが、この反省を踏まえ、友人の先祖探しの時、役場にある戸籍を入手したことがあります。

正確には全ての戸籍を見せてもらって、もらえるものは全てもらったという形ですが。

その役場は特別親切だったのも幸運でした。こういう形で反省が生かせてよかったです。

古くて住所が分からない時は旧土地台帳です。特に地目が「宅地」となっている番地が家のあった住所です。

曽祖父が亡くなって60年ですが、伝承を父親は知っていたが、私は知らなかった。こうして昔のことは忘れていくのだなと思った反面、書物にして残せば、もう少しは長期的に残せるのではとも感じました。