具体的調査方法その4

5自分の家もしくは本家など親しい親戚宅で過去帳調査

自分の家の調査および親しい親戚や本家などに家系図と戸籍類を持参で、過去帳、位牌、墓石、仏壇を見せてもらいます。ここで、頑張って作成した家系図が役立ちます。過去帳、位牌、墓石で分かったデータは全て写して帰りましょう。

戒名、俗名、没年(いつ死んだ)、享年(何歳で死んだ)などです。付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。ここからは戸籍謄本のように続柄が記載されていないので、推測になってしまいます。(過去帳には「○○兵衛父」など若干記載があります)

過去帳は江戸中期頃(1661年頃・寛文年間)出来ました。戒名、俗名、没年、享年が記載(お寺や家の仏壇にあります)記載の人物が多くなるのは1700年以降です。

過去帳には2種類あります、一つは家々で管理している過去帳ともう一つはお寺で管理している過去帳です

まずは家々で管理している過去帳について説明します。

過去帳とは先祖の亡くなった名前、享年、行年、戒名などが記された書物です。ただ地域や宗派によって戒名と行年だけしかなかったりと千差万別です。しかし戸籍以前ではまず過去帳をしらべてみましょう。


                           (過去帳)

宗門人別帳は、江戸初期に出来た制度で、キリスト教を弾圧する為に作られたものです。

庶民が間違いなく寺の檀家である事の証拠に、その家族の一覧を記入し、役所や庄屋宅に保管されたものです。

一家の人名(戸主、妻、子、使用人)などが記載され、家族構成や年齢も分かります。宗門人別帳は現在、図書館や郷土資料館、古文書館にあります。自分の先祖の事が記載されている可能性はほとんど無いですが。どのようなものか確認する価値はあります。
実際に調べる際は先祖が代々住んでいた所の図書館や公文書館、郷土資料館などに行きましょう。または県立図書館や県立公文書館には各市町村から集められたものが眠っているかもしれません。あとはその地域で当時戸長等、役職をしていた子孫なんかが当時の資料を持っている場合があります。地元の郷土研究家を訪ねても良いでしょう。

 つまり宗門人別帳は1600年後期から明治4年の約200年間の記録です

武士であれば、

1600年代前半:寛永諸家系図伝→江戸幕府が最初に出した家系図

1800年〜1813年:寛政重修諸家家譜→寛政11年に寛永書家家系伝の続刊事業として始められ文化9年に完成。当時の大名、旗本の系譜の骨組が分かります。

他には、武鑑、群書系図部集、系図纂要、断家譜などがあります。

もっと遡ると、

尊卑分脈:南北朝の末(1300年代)に出されたもので、全40巻構成。当時の有名貴族を知ることが出来ます。

一番古いのは、800年代のものです。

新選姓氏録:平安の始め桓武天皇が着手、嵯峨天皇に引き継がれて完成したもの。全部で30巻と目録が1巻。

        左右京、山城、大和、摂津、河内、和泉に住む、1182氏が記載。

これらの資料は、都道府県で一番大きい図書館には置いてあるでしょう。武士や貴族の子孫以外は利用する事もないですが、どこの図書館にあるかは確認しておくと良いでしょう。後で利用する事があるかも知れません。

これらの文献にはその家の直系の家系図しか記載されていません。

「先祖は源氏の流れをくみ、その末葉が当地に赴任した」という言い伝えがあっても、実際にはその人物は記載されていません。しかし、一番もととなる人物は記載されています。

具体例

県誌に小阪城、城主「石井五郎入道」は加賀見次郎達光の嫡男、太郎光朝の子、小太郎光重の末葉で1350年頃に居住したとありました。当然この小太郎光重と石井五郎入道とのはっきりした系図はありませんし、石井五郎入道と私の先祖とのはっきりした系図もありません。

しかし群書系図部集などには小太郎光重以前の家系図が記載されていました。

過去帳の整理がついたら、今度は図書館で先祖の住んでいた土地の歴史(町史や郡史など)を調べて下さい。その中に、ご先祖様やその一族の記載がある場合があります。

例えば、「年貢の取立てが厳しいので緩和してくれるよう頼んだ嘆願書」や「隣村との水の権利で争ったときの文書」や「祭りで奉献したときの村民の名前」などなどの中にご先祖の名前を見出せることもあるかもしれません。

「うちの先祖はずーっと農民だ。サムライなんて関係ないよ」という家も多いと思いますが、そうでしょうか?

私たちの親は2名、祖父母は4名、曾祖父母は8名、高祖父母は16名、その上は32名、その上は64名です。

その上は128名(←ここら辺でだいたい1750年代、まだ250年ぐらい前)になります。

128名の祖先の中には武士もいれば、農民、商人もいると思われます。調査中に家の由来を聞くと元は武士だったという家も意外と多いです。(元は武士だったが戦に破れて帰農したとか、武士だったが殿様の転封後祖先はそこに残り帰農したなど)

そうなると、地元の郷土資料や町史などに、その先祖が記載されている可能性は高いです。(苗字しか分からなくて、ハッキリとした系図は書けませんが、おそらく先祖の一人だろうと推測できます)

そこで、武鑑、群書系図部集、系図纂要、断家譜、寛永諸家系図伝、寛政重修諸家家譜が少し役立ってきます。

ここからは無理に家系図を繋ぎ合わせるのではなく「先祖にはこんな人もいました。この先祖はこういう家系図でこうなっています。私たちの直系の先祖とこの人は、三百年も隔たりがあるので推測の域は出ませんが、血が繋がっている可能性もあるかもしれません」とあくまでも推測を強調します。

余程の確証が得られない限り、絶対に自分の先祖と断定してはいけません。

又、逆に自分の家の祖先は武士だとか血筋がいいとか旧家とか自慢する方がいらっしゃいますが、あまり意味がありません。

だいたい27代さかのぼると800年前、鎌倉幕府成立ごろになり、自分と血のつながりのある先祖だけでも現在の日本の人口を超えます。計算すると2(27)134,217,728≒1億人強。(そのころは人口が少なく近親婚、いとこ同士などが多かったようです。)

ということは、誰でも先祖も武士であり、農民、職人、商人ですし最終的には天皇に行きつくのではないでしょうか?

ただ証拠が無いだけです、よく日本人全員が源氏、平家、藤原氏、橘氏を先祖に持つといわれています。これも上記と同じ理由です。