パソコンと寺での早朝修行  2005/3


退職9年前の90年にインターネットの前身であるパソコン通信を始めた。 見知らぬ人とのリアルタイムの情報交換に新鮮な驚きを感じたものです。 通信速度は今の1万分の1以下でテキストのみの情報でしたが電話回線を長時間占有する必要があり回線が空いている早朝にアクセスする必要がありました。 その頃の習慣がそのまま残り、気づいたら今も毎朝3時前の起床が日課になっています。

インターネットが普及し始めた95年頃、オウム事件が発生した。 この教団はネット技術を駆使して布教していた。 当時としては珍しいjavaによる動画などかなり高度な技術を使用していて私にとって驚きでした。
日本の仏教界もこのような布教活動に危機意識を持ったらしく、ボランティアでホームページ作成を手がけていた私にも寺のホームページ作成依頼が舞い込むようになった。
もともと仏教には興味があったのでお坊さんの説教や修行に参加したりしていくつもの寺のホームページを立ち上げました。 その過程でいろんな修行を観察しましたが厳寒の熊野で体験した平安密教の早朝修行は印象的でした。
朝5時、薄暗い堂内の怪しげ蝋燭炎の中で周囲の仏像の影が不気味に動く。 中央護摩壇の周りに並んだ僧侶の方が静止して見えるから不思議です。 やがて凄ましい太鼓の連打とともに読経が始まる。 井桁に積み上げられた護摩壇が突如燃え上がる。 太鼓の音に呼応して火柱が上がり天井の空洞に吸い込まれる。 正面不動明王の表情が一段と厳しくなり赤い形相が我々を睨みつける。 読経と連打の音が一段と上がる。 信者の祈祷護摩札とともに何やら粉を投げ込む。 パチパチと火の粉が舞い上がり火柱がさらに高く上がる。 前からの熱気と後ろからの冷気が私を包む。 霊気と魔気がそれに加わる。
南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧・・・・・
無我の境地ならぬ恍惚の世界だ。 若者がこの種の世界に吸い込まれる心情が理解できたように思えました。

説法もまた印象的。 インド仏教の唯識学派は2千年以上前に人の自意識の下に「娑婆識」という深層意識があることを指摘していた。 西欧では僅か100年前にフロイトが深層意識の存在を指摘したに過ぎない。
この「娑婆識」の下に、さらに「末那識」という第2階層があり、それらを根元で支える「阿頼耶識」という第3階層も認識されていたらしい。
こりゃあ、よほど自分の価値観をしっかり持たないと、ミイラ取りがミイラになりそう、と思ったものです。

多くの寺と接すると、説法に熱心な寺、生臭坊主の寺、オンボロ寺やド派手な寺、霊験もイロイロあることが分かります。 家内安全、無病息災、交通安全、学業成就、はては時流に乗って、癌防止、ボケ防止、なんて霊験を宣伝してる寺もある。 しかし、よ~く観察すると「子宝、水子供養」など、我が子の生死に関する霊験があるとしている寺がダントツ財政豊かであることに気づきました。
つまり人が煩悩のために一番財を使うのが「子宝と水子供養」なんですね。それだけ多くの人が流産や中絶に自責の念にかられているように思えます。 癌防止、ボケ防止、なんて願う年代は自分の楽しみに財を使うほうを優先するからお布施は少ない。 私もその一人です。
子供の学業になると寺よりも天神様のほうが霊験として評価が高いから「学業成就」の霊験の寺も貧乏。 そういうわけで寺相手に商売するなら、「子宝、水子供養」の霊験がある寺を選ぶべし。 というのがバチ当たり私の発見であります。


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