私の思想的転向

第一節 革命主体の面から反日革命を否定する

はじめに

 私は獄中で左翼から真正な保守主義者(真正な自由主義者)に転向した。私を知ってもらうためにも、保守派に左翼について理解を深めてもらうためにも、また心ある左翼自身にも自らを顧みて真剣に考えていってもらいたいと思うので、私の転向のプロセスや当時の思い、また左翼思想の誤り等について書いていきたい。

 今「保守派」と書いたが、一言述べておきたい。日本の「保守系言論界」には、戦前昭和期の日本と大東亜戦争(日中戦争と太平洋戦争)を肯定・美化している人が非常に多い。その人達は「保守派」と自認している。だから保守派とはそういう考えをする人々のことなのかと思っている人が極めて多い。私の考える保守派とはそういう思想性ではない。私は戦前昭和期の日本の体制は、「<法>→明治憲法」の支配を否定した体制、だから自由を圧殺した反自由主義・反資本主義・反議会制民主主義・反(正しい)個人主義の「革新(=左翼)体制=全体主義体制」であったと考えているし、全面的に批判・否定している。「法の支配」が守られるときに初めて自由な祖国の存続と国民の権利・自由は保障されるのである。大東亜戦争も、欧米の自由主義国が主導して形成してきた自由主義の国際法秩序を否定して、全体主義の新国際秩序=「大東亜共栄圏」を創ろうとした革命戦争=侵略戦争であり、自由主義の日本国家に対する国家叛逆の反日戦争であったととらえて、批判・否定している。

 私は言論界の「保守派」の過半は「民族派」であり、その思想性は歴史的にも現在的にも、「法の支配」を守る保守ではなくて、それを否定する革新なのだと考えている。彼らは反米を唱えて、自主防衛と日米同盟の解消を目指しているし、日米同盟の堅持を国是とする日本政府と国民にも極めて批判的である。左翼との共通性が多いのである。私が「真正な保守主義」と表わしたのは、「民族派の保守」と区別するためである。民族派への批判の提起は別の文に譲りたい。

「観念化された人民像」に基づいた革命論

 私は獄中でマルクス主義やレーニン主義を、独裁国家を造り出す思想だと認識できるようになって否定した。アナーキズムについても同じ理由で否定した。そして私自身が考えだした政治的には「世界民主主義」、経済的には「世界共産主義経済」に基づいた新しい世界共産主義革命、その一環としての反日共産主義革命を追求していった。一九八二年からである。(なおこの「民主主義」は「自由民主主義」であって、敵である日本や米国の自由民主主義と共通する内容であった。だから私は数名の支援者宛への文では使用したが、一般向けの小冊子の文で「世界民主主義」の用語を使う勇気はすぐには持てなかった。私が公けの文でそれを使用するようになるのは、一九八九年の東欧における反ソ連・反共産党の民主主義運動によって勇気を与えられた後のことである。)しかし一九八〇年代の後半頃から、私の心の中に「アジア各国の人民は共産主義革命を求めていないのではないか。従って反日革命(排日革命)も志向していないのではないか」という疑念が芽生えてくるようになったのであった。この疑念は年々大きく強くなっていき、私はついに一九九二年十月頃に、極めて不十分な形ではあったが、自己批判して反日革命を撤回したのであった。

 私は反日革命の主勢力と考えたアジアなど第三世界の人民を、最大限に幻想化してとらえて「革命的な存在」だと考えてきた。左翼思想の根本のひとつに、「ブルジョアジー対人民」という階級闘争論がある。反日思想の場合には、先進国の市民社会の人間を「ブルジョア的民族」ととらえて、「ブルジョア的民族対第三世界の人民」という反日的な階級闘争論があったわけである。もちろん日本人ブルジョアジーと日本人民を同じ位相でとらえたわけではないが。こういう階級闘争論に拘束されてしまっている時は、アジア各国人民が「革命的人民」だと幻想化されてとらえられていくのは避けがたい。革命的ではないとすれば、革命論が成立しなくなってしまうからである。私は現実の人民から出発したのではなくて、「左翼思想・理論が規定した人民像」、「観念化された人民像」をもって現実の人民だと考えてしまったのであった。

 反日革命であれ日本革命であれ、左翼はみんなそうである。赤色レンズの眼鏡をかけてこの世界を見れば赤く見えるが、それは実際の社会ではない。しかし赤色眼鏡をかけているとの自覚がなければ、それが現実の実相となる。

 左翼は日本国家や世界を、独自の思想・理論によって認識している。「階級国家」「階級支配」「経済的搾取(資本主義的搾取)」「ブルジョア法」「政治的・経済的帝国主義」「階級闘争」等々である。資本主義論であり、資本主義国家論である。別の文で明らかにしたように、これらはすべて虚偽理論である。しかし私もそうであったように、左翼はこれらをマルクスやレーニンやバクーニンらの理論として、またひとつの大きな思想潮流としてある左翼思想の「常識的な理論」として、アプリオリな真理として受容し盲信してしまっている。「本当にそうであるのか」と、批判的精神をもって、現実と理論性によって検証したのではなく、全く無批判的に真理だとして受け容れてしまったのである。そして日々の活動によって、これらの「真理」は血肉化していくのである。これは洗脳である。

 左翼思想の根本教義は「平等=善、不平等=悪」の平等思想である。日本国家やアメリカ等が政治的また社会経済的に不平等であることは明らかであるから、この平等思想に支配されてしまうと、人は現国家社会の体制を否定するようになってしまう。左翼思想の創始者たちは、人々の「平等=善、不平等=悪」の感情を利用して、前記した「階級支配」「経済搾取」「階級闘争」等々の虚偽理論をでっち上げて真理だと信じ込ませていったのであった。私も平等思想に基づく感情から、これらの虚偽理論、つまり虚構を無批判的にすんなり受容してしまったのだった。すなわち私は左翼理論によってねじ曲げられてしまった「日本国家像」「日本社会経済像」をもって、実際の日本だと考えてしまったのである。左翼はみんなそうである。

 虚偽理論によって資本主義国家と資本主義経済が悪として否定されれば、それの対立物である共産主義社会(平等社会)が善として熱烈に支持されるのも、また必然である。私もそうであった。私が共産主義社会(平等社会)の建設を目指す革命を実践していったのは、主観的には「悪の世界」を解体・変革して、搾取も抑圧も侵略もない新しい社会を創造したいという素朴な正義感からであった。左翼思想は人類史上最高の謀略思想だ。悪・地獄への道は、素朴な正義感や善意で敷き詰められている。

 私は日本人民がトータルとして自己批判を通して反日革命を目指していくようになるとは、初めから考えていなかった。私は日本人民は日本革命であっても、人民規模としては目指していくことはないことは理解していた。それは自分自身が日本人民を直接見聞きして知っているからである。しかしアイヌ人民や在日朝鮮人民や沖縄人民のことになると、自分のつき合いも極めて限定されたものであって実態がよく分からなかったから、私は願望もあって、「彼らは被抑圧民族人民であるから反日革命の主体だ」と考えてしまったのであった。アジア各国の人民のことはなおさら分からないし、またより厳しい政治的、経済的状況下で生きている人々であるということをもって、私は最大限に「幻想化」してとらえて、「彼らこそが反日革命の主要な勢力である」と考えたのであった。

 私は反日革命や世界革命について次のように考えた。アジアの人民の反日は、「反日」と言われても日本帝国主義の勢力を自国から撃退させていく「排日」であり、日本人反日勢力の反日亡国とは異なっている。アジア各国の人民は当面は、政治的には一国民主主義を、経済的には一国共産主義を掲げて、反政府闘争を展開していくだろう。彼らは政府の支援に駆けつける日本帝国主義やアメリカ帝国主義とも反日(排日)闘争や反米(排米)闘争を戦っていくことになる。この反政府・反日・反米闘争の進展の中から、各国の革命勢力による反日・反米国際統一戦線も形成されていくことだろう。日本人反日勢力もこの国際統一戦線に参加していく。これを基盤にして相互に思想的にも学び合っていくことを通して、アジアの革命勢力も、世界民主主義の樹立と世界共産主義経済の建設を目標にする世界革命(その一部としてある反日亡国革命)を目指すように飛躍していくだろう。

 中国人民や北朝鮮人民などの共産主義国の人民も、現在の自国の独裁政府を打倒していく真の革命を目指していくだろう(私たちはそのことを訴えていかなくてはならない)。そして彼らもやはり、上記の世界革命を目指していくようになるだろう。私は以上のように考えていた。現実を知らない、全くの机上の願望的な空論であった。

人民は反日革命を求めていない

 私が一九七〇年代の一時期大きな影響を受けた太田竜は、一九八五年頃には反日革命は勝利するだろうと主張していた。一九七二年からとして、私は十数年間、反日革命を考えてきた。日本人反日勢力を拡大しようとして自分なりに努力した。だが日本人反日勢力は拡大しなかった。日本の被抑圧人民の革命闘争も、アジア各国の革命闘争も拡大することはなかった。一九八〇年代に入ると、アジア各国の経済成長は目覚ましく、革命闘争にとって大きなマイナスになることは明らかであった。

 私は革命闘争が発展してこないことに薄々気付いてはいたが、初めはその「不都合な現実」を無視しようとした。「もうすぐ戦いは拡大してくる」と思おうとした。しかし八〇年代の後半にもなると、自分自身を誤魔化すことができなくなり、「アジアの人民は革命を求めていないのではないのか。だから反日(排日→反日亡国)革命も求めていないのではないのか」という考えが年とともに大きく強くなっていったのである。アイヌ人民についても、私は太田竜が著書で宣伝した一人二人のアイヌ革命家の存在をもって、単純に、アイヌ人民はアイヌモシリの反日独立を目指していくと考えていったのであるが、現実によって、この考えは間違っているのではないのかと不安は年々大きくなっていった。だが私はこれらの疑念を公けに発言することはしなかったし、できなかった。公けの文では従来と同様の主張を行っていたのである。

 私にとってこの現実は極めて深刻な問題であった。私は世界をひとつの社会ととらえる世界革命の立場に立っていた。その一環として反日革命もあった。私が北海道庁爆破闘争を支持したり、反日亡国の武装闘争をアピールしてきたのも、日本人民の枠内で考えるのではなくて、日本とアジアと世界の人民全体の中で革命闘争を位置づけて、評価してきたからである。すなわち世界全体で見れば、人民の圧倒的多数はそれを支持していると考えたからであった。しかしアジア等の人民の大部分は自国の革命も反日革命も求めていないとなれば、私や少数の革命家が革命闘争を実行していくことは、人民の多数の意思を踏みにじることであり、世界民主主義の否定になってしまう。もちろん反日革命そのものが成立しないことになる。

 私はアジアなどの人民を幻想化して、アプリオリに反日革命の主体で主勢力だとしてきたのだが、これは私の批判精神と思考が停止してしまっていたことを意味した。前記したような現実を前にして、私は初めてアジアの人民の実体を分析していくようになった。そして彼らの民度は低く、とりわけ中国人民のそれは極めて低く、アジア各国の人民の多くには、民主主義制度を実現していくだけの歴史的な伝統もなく、思想性も未だ備っていないことを段々と認識していった。私が目指す反日革命や世界革命は、決して独裁国家にならないために、世界民主主義思想や(アジア等第三世界の人民においてはとりあえずは)一国民主主義思想に確固として立脚した革命でなくてはならなかったから、革命の主体はより一層限定されてしまう。すなわち反日革命は成立しないことになる。

極めて不十分な自己批判

 私は自分の生き方そのものが否定されてしまうことになるために、こうした現実を認めたくはなかった。だが年とともにこうした考え方は強くなっていき、私はついに一九九二年十月に公けの文で、反日革命は成立しないと明言して、自己批判して撤回していったのであった。

 だがこの時の私はまだ、「世界一社会論」も「世界民主主議論」も正しいと(誤って)考えており、「世界民主主義に立脚する反日革命論」も全てが間違っているとは思っていなかった。だから私は次に述べるような自己批判的総括を発表したのであった。

 世界民主主義制度が、帝国主義国と第三世界の非民主的(独裁的)政府によって拒絶されている以上、世界民主主義思想に立脚する反日革命(暴力革命)は理論的には正当化される。だが残念ながら日本の内外において、この反日革命を目指そうとする革命的人民は全体の中のごく少数に留まっている。この現在の条件下においては、ごく少数の革命的人民が圧倒的多数派の意思を無視して、彼らも巻き込んでしまう反日革命闘争を進めていくことは、世界民主主義に反し誤りである。もし強引に実行していっても物理的に勝利できないが、万が一勝利したと仮定しても、革命権力を維持しようとすれば、世界民主主義の実現を拒否しなくてはならないことになり(選挙をすれば少数ゆえに敗退してしまうから)、自らが独裁権力に堕してしまうことになっていく。これは革命の否定だ。残念ながら反日革命は成立しないのである。自己批判して撤回するしかない。

 この総括は、反日革命を志向しない人々の方こそ遅れていて悪いのだと言っているものであり、自己正当化の総括であった。私はもっともっと自分の思想を厳しく検証していくべきであっただろう。そうすればもっと早く左翼思想から脱却できたかもしれない。しかし洗脳からの脱却のプロセスは、決して一気には進展していかないもののように思われる。なんとか自己の正当化を図ろうとしつつも、それでも少しづつ自分の誤った考えを否定して放棄していくという形で除々に進んでいくもののように思う。もし一気に従来の考え方の全てを否定することを求められたとすれば、人間は自己を保持することができなくなって、精神が破壊されてしまうであろうからである。

 このようであったから、私は一九九二年十月から九四年の間も、反日革命は否定したものの、だから日本を倒し国家権力の奪取を目的とする反日革命闘争は否定したが、そういうものではない、日本の侵略や支配に対する個人やグループの抵抗や反撃に留まる戦いであれば、武装闘争であっても認められると考えて、人々に向けてアピールを続けていたのであった。抵抗や反撃に留まる反日闘争である。それを否定できるようになるのは九五年一月であった。

第二節 私の思想の変遷

「原始共産制の今日的な復権」の革命を否定する

 一九九二年十月に反日革命を自己批判して撤回したと書いたが、私はその前の一九八八年に「原始共産制の今日的な復権」という、自分が目指す共産主義社会の思想性の誤りに気づいて、自己批判して改めていった。

 私は一九七二年に反日革命を目指し始めたが、太田竜に影響されてマルクス主義の「工業化共産主義」を批判して、全く別個の「原始共産制の今日的復権」という非工業化共産主義社会の建設を志向していった。だが私は、自分が目指すこの共産主義社会の具体的なイメージを明確にする理論的作業を全く怠ってきたのであった。誰一人として行っている者はいなかった。頭の中にはぼんやりしたイメージはあったが、文字化することはなかった。この作業を回避していたからこそ、私は「原始共産制の今日的復権」というスローガンが持つ肯定的な強い感情に支配されて、疑問を抱くこともなく、マルクス主義者たちを批判しつつ、この思想に基づく世界革命とその一環としての反日革命を主張し続けることができたのである。

 一九八〇年代の後半になって、第一節で述べた「反日革命の主体」の点における疑問が大きくなってきた時に、私は「原始共産制の今日的な復権としての反日共産主義革命」についても、初めて自覚的に検証するようになっていったのであった。

 この共産主義社会は、小さな都市といくつかの農村が一つに融合して基礎的共同体を形成し、そういう基礎共同体が連合してより広域な社会を形成していくものになるであろう。しかしそうであれば、我々は主体面において、反日革命という世界性を有する革命闘争を担っていくこと自体がそもそも困難になってくる。私の今日までのその他の主張も行動も、そうした社会とは全く別の所から出ているものであった。私の主張と行動は「原始共産制の今日的復権」の思想性と矛盾しているものである。

 また反日革命に勝利するまでは、「原始共産制の今日的復権」は棚上げして、「世界一社会論」「世界民主主義論」という世界性の立場から戦っていくとしても、勝利すれば目標の実現を目指すことになっていく。巨大都市を分割縮小するなど、生産力も大削減させていかなくてはならないことになる。たとえ長い時間をかけて除々に改造していくとしても、今日の社会は破壊され大混乱に陥るのは必定である。何億いや何十億という人々が犠牲になってしまう。互いに戦争することにもなってしまうだろう。もしこの思想に基づく共産主義革命と共産主義社会建設を実践するとすれば、マルクス主義の工業化共産主義よりもはるかに悲惨な結果を惹起することになってしまう。私は思考が停止していて、自分の誤りに全く無自覚であった。私は一九八八年にこのように自己批判して、この思想を捨て去ったのであった。

共産主義革命・共産主義計画経済を否定する

 私はその後、「工業化共産主義」に立ち返って、共産主義社会の経済システムについて考え始めていった。私は一九七八年から八〇年にかけてアナーキストになって、レーニンやマルクスを独裁支配者だと否定した際に、彼らが言う「共産手段の国有化」についても否定し去っていった。「国有化」とは、独裁国家権力である共産党が、国民から全ての生産手段を強奪することであり、唯一の資本家となった共産党が、国民を奴隷として搾取することができるようにすることである。平等で自由な共産主義社会ではない。私はこのように考えて否定したのであった。

 前記した事情から、私はマルクスの著作は『共産党宣言』など数冊しか読んだことがなかった。そこには生産手段の国有化と計画経済の主張が述べられていたから、私はマルクスもレーニンも同じ考え方をしていると思っていたのであった。図書館で『全集』を借りてもらって読んでいくと、マルクスはその後、アナーキストのバクーニン派との論争を経て、「生産手段を共有する諸協同組合の連合が、一つの共同の生産計画に基づいて生産を組織化していく」という共産主義経済システムを主張していることを私は知った。私はマルクスのこの思想を批判的に分析していった。

 たとえ生産手段の国有化ではなく、各協同組合の共有物である場合であっても、すべての協同組合はひとつの生産計画に基づいて生産活動をしなくてはならないのである。そうであれば各協同組合は、生産計画を策定し、協同組合を管理するこの国家機関に支配されることになる。それは各協同組合は生産手段の所有権と管理運用権を喪失するということである。すなわちマルクスはバクーニン派との論争ゆえに、巧みなレトリックを用いてはいるが、このシステムはレーニンの「生産手段の国有化に基づく計画経済」と実質全く同じものなのである。いざ実行となれば早晩、名目的にも国有の看板になっていくものだ。私はこのように結論づけて否定していったのであった。

 私はさらに、政治的に自由民主主義に立脚する場合であっても、市場経済を否定した共産主義計画経済の建設を目標にする以上は、各協同組合が生産手段を共同所有していても、国家機関に生産計画の策定と各協同組合を管理する絶大な権力を与えることになるのは同じであるから、生産手段の国有化になり、民主主義をも否定することになっていくことを認識していった。共産主義計画経済の建設の方が政治的民主主義よりも高い価値を持つと考える立場においては、そうなっていくのは避けられない。国家が全ての生産手段を独占所有するとき、国民は国家を離れては食べていけないから、国民の自由は死ぬ。民主主義も存在することを許されない。結局、共産党が独裁支配し国民を収奪する国家になる。

 私は以上のように認識して、一九九二年の前半に「共産主義計画経済」を否定した。自己批判して否定した。「世界民主主義に立脚した世界共産主義革命」を自己批判して撤回した。だから私の反日革命論も、これ以後は「反日共産主義革命論」ではなくなり、「反日社会主義革命論」というものに変っていった。経済システムとしては「社会主義的市場経済」である。これについては次に述べるが、第一節で書いたように、この反日革命も革命主体がごく少数であり成立しないとして、一九九二年十月に自己批判して撤回したわけである。

社会主義的市場経済を考える 

 左翼思想の根本は「平等=善 不平等=悪」の平等思想である。だから生産手段の私的所有を否定し、生産手段の共有に基づく共産主義計画経済の共産主義社会が志向されるわけである。ところが共産主義社会を目指すときは、たとえ政治的には自由民主主義を支持していても、後者は否定されることになってしまい、共産党独裁支配・収奪の国家になり、超不平等社会が出現することに帰結してしまうのである。前項で述べたことである。それでも私は「平等=善 不平等=悪」のドグマを疑うことは出来なかったから、一体どういう経済システムを目指したらよいのか全く分からなくなってしまった。

 しかし分からないままだと不安で一歩も進めないから、必死に考えた。ただ経済的に「完全な平等」を求めてはならないことは分かってきた。それを志向するときは、共産主義計画経済の罠にはまり込んで、正反対の体制を造り出すことになってしまうからである。私は一九九二年前半から半ばにかけて、政治的には世界民主主義、経済的には「世界社会主義的市場経済」の「世界社会主義社会」の建設を目指す世界革命、その一環としての反日革命を考えるようになっていった。第三世界各国においては、とりあえずは一国民主主義と一国社会主義的市場経済に基づく「一国社会主義社会の建設」ということになる。

 具体的には次のようである。生産手段は社会の全成員の共有財産とするが、その運用形態(保有形態)は、個人・家族的保有、協同組合的保有、国・地方公共団体保有の三形態とし、前二者を主要な運用形態(保有形態)とする。個人・家族的企業、協同組合的企業、国営・公営企業は、それぞれ独立した経済主体として、一定のルールの下で、市場経済で自由に経済活動をしていくのである。

 資本主義国の市場経済との違いは次である。この社会主義社会では、生産手段は各経済主体の私有財産ではなく、社会の全成員の共有財産であり、各経済主体はその運用主体に過ぎない。従って議会で民主的に決められた「社会主義的ルール」の下での市場経済となるから、当然のことながら資本主義国の市場経済とは異なるものになる。資本主義国の自由な市場経済においては、経済的な不平等は大きくなる。私は社会主義的ルールによって不平等を限定して、できるだけ平等にできると考えたのであった。

 しかしこの反日社会主義革命も、革命の主体が少数に留まるから成立しないとして、一九九二年十月に撤回することにしたのであった。

反日的改良運動を主張する

 私は一九九二年前半から唱えた「社会主義的市場経済」を目指す社会主義革命は、第三世界の一国革命としては成立すると考えていたのだが、「社会主義的(平等)」と「市場経済(自由)」はそもそも矛盾していて機能しないことを認識して、一九九四年後半までに誤りだったと自己批判して撤回していった。そして九四年九月頃からは、世界規模で、自由で「ゆるやかな不平等」な社会を創っていきたいと考えて、「世界社会民主主義」という思想を主張するようになり、この思想に基づく具体的運動として、一九九五年初め頃から「反日的改良運動」と名付けたものを社会にアピールしていったのであった。

 「世界社会民主主義」という思想は、政治的には「世界民主主義」であり、経済的には、スウェーデンの経済システムの「社会民主主義的市場経済(資本主義のひとつ)」の世界版たる「世界社会民主主義的市場経済(資本主義)」である思想であった。

 「反日的改良運動」は、日本国家の政治と経済を「世界社会民主主義連邦国家」へ向けて、合法的な運動によって改良を積み重ねて漸進させていく運動であった。私はこの時に反日革命について、はっきりと誤りであったと自己批判した。反日革命を思想化・理論化したこと自体が誤りであったという自己批判である(後述するが、これも決定的に不十分な認識であり、反省であった)。この反日的改良運動は、反日革命は誤りであると否定した上で捉起したものであるから、最初から世界社会民主主義連邦国家の実現は不可能だと明確に認識した上で、進めていく運動であった。また合法的な運動によって、改良を積み重ねてその方向に向かって一歩一歩漸進していこうという運動であった。目標に到達することは永遠にありえないが、その時点で可能な地平まで合法的に進めて行く運動であった。

 だから私は、九二年十月に反日革命は成立しないとして撤回した後も、反日革命闘争ではない、抵抗や反撃に留まる反日闘争であれば武装闘争であっても認められるとしてアピールもしてきていたが、この時に(九五年一月)それを誤りであったと自己批判して否定した。

 反日的改良運動は九六年前半まで続けた。九六年初めには名称が不適切だと反省して撤回し、同年半ば頃までは「世界社会民主主義運動」という名称を使用した。しかし私は九六年六月になって、この運動も全くの誤りであったと気がついて自己批判して否定したのであった。

第三節 革命幻想から覚める

「世界一社会論」「世界民主主義論」は机上の空論・超反動思想

 私は一九九六年六月になって、「世界一社会論」とそれを前提とした私が考えた「世界民主主義論」は、机上の空論であることを自覚して、自己批判して否定した。もちろんそれらを基礎にした「反日的改良運動」や「世界社会民主主義運動」も否定し撤回した。私はこの時になってやっと、国民国家が文明的世界の単位であり、だから民主主義制度も各国ごとの民主主義制度であるという当たり前すぎる真理を再認識することができるようになったのである。二八年程前の革命を目指す以前の考え方に、より明確な形で復帰することができるようになったのである。

 人間は各国民国家に帰属し、国民として存在している。「世界一社会論」と「世界民主主義論」は、国民国家の正統性、その民主主義制度の正統性を否定する決定的に誤った極左思想である。反国民国家、反民主主義の超反動思想なのである。そのことは、国民国家の廃絶を目指す世界革命・反日革命がそれを基盤として主張されてくることで証明されている。

 私は九六年六月になって、やっと普通の民主主義者としての日本国民に戻ることができるようになった。民主主義者は日本の法を守る。法を否定する革命運動を断固否定する。革命運動とは、法によって認められた権利・自由以外の行為を実行していくものであり、少数派の意思を権力的に他者に強制していくことである。法と民主主義制度を否定していくことである。私の中からいかなる内容であれ、革命というもの(考え方)は否定され消えていった。ここになって私はやっと革命幻想から覚めることができたのである。革命幻想から覚めると、これまでの私の誤りは一層明瞭になった。

 私はまず日本革命を目指し、次に世界革命・反日革命を目指していったが、私が世界革命を目指す前から「世界一社会論」や「世界ブルジョアジー対世界人民」という「世界階級闘争論」があった。太田竜も独自の世界階級闘争論を主張していた。私は共産主義革命によって実現させる経済的な平等は、地球規模で実行して「南北問題」を解決するものでなくては不正義だと考えたから、日本革命を否定して、太田竜らの世界一社会論、世界階級闘争論を無批判的に受け容れて出発したのであった。

 しかしこれらの理論は、世界各国の人民の意識を反映したものではなかった。理論家が革命幻想に支配されて、自らの願望も込めて頭の中で作り上げた「世界人民像」を基にして作られたものであった。私もそれを継承した。私は以下のように考えていった。「たしかにアジアなどの人民は最初は一国共産主義革命から出発していくが、革命闘争の深化と発展、国際的連帯の強化の中で、この世界(政治と経済)を一つの社会ととらえ、自らを世界人民の一部分ととらえる思想性を獲得していくだろう。こうして一国革命から世界革命・反日革命へ発展していくのだ」と。私自身が世界革命を目指したことをもって、私は単純にアジア等の第三世界の人民もそうなっていくだろうと考えたのであった。革命幻想である。机上の空論であった。

 「世界民主主義論」も、アジア等の人民の意識の実体を反映したものではなかった。私は彼らのことをほとんど知らなかったからだ。それは私が一九八二年に考え出した思想に過ぎなかった。私はそれまでは「世界人民の革命的独裁」とか「社会独裁」の立場で、世界革命・反日革命を考えていた。しかし一九八〇年から八二年にかけて、私はこの「独裁」の考え方こそが独裁国家を生み出すものであることに気がつき、苦労して「世界民主主義に立脚した世界革命・反日革命」を考え出したのであった。この新たな世界革命が成立するためには、アジア等の人民の大部分がそれを求めていかなくてはならない。それで私は「アジア等の人民は民主主義思想に立脚して、自国の独裁政府を倒す共産主義革命を成し遂げ、さらに世界民主主義思想を獲得して反日共産主義革命を目指していくにちがいない。日本人反日勢力からもそれを訴えていくのだ」と考えたのであった。「世界民主主義論」も、反日革命を正当化するために、強い革命幻想に支配されていた私が頭の中で作り上げたものでしかなかった。机上の空論であった。超反動思想であった。

私も反民主主義の独裁主義者であった

 私は当時は自分の「世界民主主義に立脚した反日革命論」は正しいと思っていた。だから「プロレタリアートの独裁」や「人民の独裁」を主張する他の左翼を、独裁主義者であると非難していた。独裁国家を生み出す運動だと非難していた。日本革命派に対して、「日本人民の大部分は日本革命など求めていないのに、彼らの意思を無視し、日本の一国民主主義を否定して、革命を目指している独裁主義者である。仮に成功しても自由ゼロの独裁国家になるだけだ」という非難も行っていた。

 私はソ連や中国や他の共産主義国は、国民を自由ゼロの奴隷にして支配し収奪する共産党独裁支配の国だととらえて、徹底的に憎悪していた。それに比べれば、自由がある一国民主主義の日本や米国など先進資本主義国の方がはるかに良いと考えていた。だから私は民主主義に立脚しない革命を、すなわち独裁国家を誕生させることになる革命を、激しく憎んでいた。

 だがそのように言う私は、アジア等の人民を一国民主主義→世界民主主義に立脚して反日共産主義革命を目指している存在だと都合よく解釈して、反日革命を正当化していただけであった。自分の意識を投影して作り上げた「人民像」をもって、現実の人民に替えてしまっていただけであった。私に他の左翼や日本革命を非難する資格など一片もなかったのである。

 この反日革命は、現実としてはアジアの各国の人民はそれを目標にしないから、日本人民と日本内の少数民族人民の中から反日勢力を生み出していくしかないことになる。日本革命を目指す革命勢力よりも、さらにはるかに少ない革命勢力になることは明らかである。そうすると反日革命をあくまでも追求していくという者は、極めて少数の反日勢力の都合だけで、日本政府と日本国民を敵として戦い、打倒して国家権力を奪取していくことを目指すわけだから、反民主主義の超独裁主義者ということになる。革命幻想に頭脳を支配されてしまって、反日革命をアピールしていたときの私は、主観はどうであれ、客観的には超独裁主義者そのものとして存在していたわけである。日本の人民がこのような反日革命に見向きもせず非難したのは、誠に正しかったのである。

 「世界民主主義思想」とは、言葉のイメージとは裏腹に反国家、反民主主義の超独裁主義のことであった。私はこのように自己批判して否定していった。それに基づいた世界革命論・反日革命論についても、改めて自己批判して否定していった。

 当時の私は、民主主義国=資本主義国の中では、スウェーデンのシステムである「社会民主主義」が最も好ましいと思っていた。だから日本においても「社会民主主義」を理念にして、民主主義に立脚した諸活動によって、日本の政治と経済を改良しつつ漸進していく運動を考え、人々にアピールしていった。

第四節 保守主義の立場に立つ

翌年九七年五月頃には、私は自由主義という立場を正しいと考えるように進化してきていた。昨年六月の時点では、私はまだ「平等」の価値を評価していたために、民主主義的な資本主義国家の中ではスウェーデンの体制(社会民主主義)を最も好ましいと考えたのであった。平等と言っても、「ゆるやかな経済的な不平等」という意味である。いわゆる福祉国家である。しかし私はその後、平等の価値をさらに相対化していった。そして自由と平等はそもそも原理的に敵対していることを認識していったのである。自由主義は、自由を第一の価値とするものである。私は九七年五月頃には、真正な保守主義=真正な自由主義の入口の所にまで来ていた。

中川八洋教授の著書から学ぶ

 ちょうどその頃には私は偶然、中川八洋教授の著書に出会うことになった。九七年五月の末である。当時私は小冊子を発行し、ミニコミ紙店にも置いてもらっていたが、それを読んで私が左翼から転向したことを知ったある人が、多くの本を送ってくれたのである。その人は昔、この札幌拘置支所にも入ったことがある人で(私とは時期が異なるが)、その後左翼から「保守派」に転向した人であった。彼がまだ左翼であった一九八〇年頃に一度私に面会に来てくれた人であった。送られてきた本はほとんどが民族派の人のものであった。その人は保守派と自ら言っていたが、私は民族派と考えていた。その本の中に一冊だけ中川八洋教授の本があったのだった。

 その本は『近衛文麿とルーズベルト−大東亜戦争の真実』(九五年八月刊。二〇〇〇年十二月に『大東亜戦争の開戦責任?近衛文麿と山本五十六』と改題されている)というものであった。中川氏は戦前昭和期の日本は社会主義国家であった。日中戦争と太平洋戦争に最大の責任を持つ近衛文麿は、民族派の衣をまとった共産主義者であり、戦争目的はアジアと日本の共産化であったと主張していた。私はハンマーで強打されたような衝撃を受けた。私は中川氏のその他の著書を購入したり、妻に図書館で借りてもらいコピーを取ってもらって猛勉強をしていった。氏の著書や雑誌論文で手に入るものは全て入手して読んでいった。

 九七年九月に読んだ『正統の哲学 異端の思想』(九六年十一月刊)から、私は非常に多くを吸収した。この著書によって私は英米系の法思想、法の支配を学んだ。平等は法の前での平等だけが正しいことを学んでいった。これにより、私の中でなおあいまいな部分が残っていた平等に関して、得心を得ていくことができることになった。私は平等思想(「平等=善、不平等=悪」)を完全に否定しきっていった。

 同年九月に読んだ氏の『戦争の二一世紀 蘇えるロシア帝国』(九二年六月刊)は、すこぶる深いソ連=ロシア分析の書であった。氏は「一九九一年のソ連の崩壊は国家の偽装倒壊である。侵略国家ロシアは、共産主義ロシア(ソ連)から「市場経済」のロシアに衣を変えただけで、国家目標は不変である。すなわちロシアは二一世紀にユーラシア大陸を侵略征服しようとしている。現在は米国ら西側自由主義国を油断させるために大退却をしているに過ぎない。大反攻=大侵略するために大退却しているだけである。ロシアは侵略と退却と再侵略をサイクル的に繰り返して領土を拡大してきた伝統を持つ国家である」という主張を展開していた。私は何度も読み返し、吸収していった。

 革命という考え方を否定した後(九六年六月)の私は、日米同盟の立場に転換していったのだが、九八年四月に読んだ中川氏の『現代核戦略論−核時代の平和学』(一九八五年七月刊)から多くを学んで、ロシア・中国・北朝鮮に対する日本の核武装と核戦略そして日米核同盟の強化についての認識を飛躍的に深めていくことができるようになった。

 私は一九九八年の半ば頃には、真正な保守主義(=真正な自由主義)を自分の思想にしていた。「真正な保守主義」と表したのは、民族派も保守を唱えているからである。三つの論文をまとめて、「大森勝久論集1」として各所へ発送した。九八年十月のことであった。三つの文とは、「私は真正な自由主義(保守)へ転換した−社会主義は自由ゼロの超不平等体制になる」(九八年八月十三日)、「戦前の軍国主義時代は社会主義時代だった−隠れ共産主義者による謀略の大東亜戦争」(九八年八月二九日)、「ソ連=ロシアの大退却戦略に騙されるな!−ロシアは二一世紀にユーラシア大陸の制覇を狙う」(九八年九月八日)である。私の新しい人生の始まりであった。

平等思想は謀略思想である

 私は極めて長期間、平等思想に支配されて革命運動を行い、祖国と国民に敵対してきてしまった。この罪は自分の活動によって償っていかなくてはならない。日本では真正な保守主義の言論が非常に弱い。だから左翼が強いということになっている。私は微力であっても、保守主義の主張を展開し、また左翼思想の誤りを明らかにして、日本に少しでも貢献していきたいと決意した。民族派の誤りについても明らかにしてきたいと考えた。ここでは、私が長らく関わってきた左翼思想の誤りについて再度述べよう。

 人間(国民)は生まれた時から異なっている。男と女は違うし、同性でも相互に差異がある。成長するにつれてますます差異は大きくなっていく。つまり人間は本質的に不平等なのである。もし平等であったならば個性もなにもないロボットになってしまう。人間の社会は上下の秩序によって形成されている。家庭でも学校でも企業でも国家の機関でもそうだ。上下の秩序とは不平等ということである。もし政治社会、経済社会に平等な関係を要求したら、社会は瞬時に崩壊し、社会そのものが形成できない。人間はバラバラの個となり、人間ではなくなってしまう。

 国民の自由は、不平等性の承認が前提になっている。ある人は政治家になりたいと思う。ある人は軍人になりたいと思う。またある人は学者になりたい。企業経営者になりたい。野球選手になりたい。歌手になりたいという人もいる。千差万別である。考える内容も異なる。平等が強制されたら国民の自由は否定されてしまうのである。それは人間であることの否定だ。自由は不平等原理に基づくものなのである。

 国民個人に能力の不平等性があり、努力の程度にも不平等性があり、また運にも不平等性があるから、経済活動の結果としての所得やその累積たる富が不平等になるのは自然なことなのである。不平等であることが公正であり正義である。古いアイヌの社会やアメリカインディアンの社会でも、家族の能力の差によって経済的な不平等が自然に生まれていた。私が革命幻想に支配されて勝手に「平等な社会だ」と解釈しただけであった。能力と努力と運が異なる個人・家族に対して、所得や生産物の平等な分配を求めることは、それこそが不公正であり不正義である。逆の意味での不平等なのである。

 自由の基礎は、私有財産制(生産手段の私的所有)と自由主義経済つまり市場経済である。この時に国民には、生活の糧を得るための経済的な自由が保障されることになる。経済的自由がない体制では、政治的な自由も存在しえない。共産党が独裁支配する共産主義国家では、生産手段の全てを国家が独占所有するから、国民は国家から離れたら生活の糧を手に入れることができない。経済的自由が全くないのだ。そのような時、国民に政治的自由が認められる道理はない。国民は奴隷と化することになる。今日のロシアや中国は西側自由主義国のような市場経済ではなく、国家統制型の「市場経済」である。

 自生的な制度である日本国家や天皇制や私有財産制度や市場経済等は<法>である。また古くから真理、道理として伝承されてきたもの、例えば国家には自衛権(個別的・集団的)があるとか、男女は異なる、人間は不平等である、経済的な不平等は自然であるとかも<法>である。国民が世襲してきた自由、つまり生命や身体や財産の自由とかも<法>である。そういう<法>を発見して明文化したものが正しい憲法である。<法>に反する憲法条文は無効である。「<法>→正しい憲法→正しい法律」の支配という「法の支配」が貫撤している国家が、文明国家である。法は国家権力も支配する。法こそが「主権者」であるといってよいだろう。私たちはこの法の支配を堅持することによって、日本国家の安全と存続を守り、国民の権利・自由を守っていくのである。もちろん国際法を守り、侵略を否定する。真正な保守主義(真正な自由主義)とは、祖国と法の支配を守っていく立場をいう。

 自由は法の支配があって保障されるものであり、不平等原理から生まれるものである。自由と平等は敵対しているのである。唯一正しい平等は、「法の前の平等」だけである。

 左翼思想の根本は「平等=善、不平等=悪」の平等思想である。私はこの平等思想に洗脳されて、日本の法をブルジョア法だとして否定し、日本の政治社会と経済社会を否定し、日本国家そのものも否定し、また国際法も否定して、新世界秩序を創造するために世界革命・反日革命を目指していったのであった。「平等と真の自由が実現される世界共産主義社会の建設」であった。しかし抽象的に述べれば、平等と自由が共に実現される社会など絶対にありえないのである。平等の実現は自由の死である。平等の実現は社会の否定である。しかし人間は社会なしでは生存できないから、結局、共産党が自由ゼロの奴隷的国民を支配・収奪するウルトラ不平等社会が誕生することになるのである。日本には多くの欠陥はあるが、その何万倍も酷い独裁国家が作られていくことになるのである。地獄への道は、主観的な正義感や善意で敷き詰められている。

 左翼の根本思想は転倒している。不平等こそが善であり、平等は悪なのである。しかしこの真理はほとんど理解されないのである。「平等=善、不平等=悪」は強力なスローガンである。平等思想は大衆のさもしい妬みを増殖させていく。言葉の正しい意味での社会のエリート層に対する敵愾心を大衆に植えつけていく。国家社会を憎悪させていく。平等思想はまた未熟なインテリの正義心や善意を刺激して、国家社会とエリート層を価値否定させていく。その上に「階級国家論」「階級支配論」「搾取理論」「帝国主義論」「ブルジョア法論」等々の虚偽理論をプロパガンダされると、左翼は現体制否定の感情に理論的な裏付けを与えられるから、革命運動を実践していくようになるわけである。

 今日の日本の政治社会、経済社会は不平等であるが、不平等は支配や搾取とは全く別の概念である。左翼は「不平等=支配」「不平等=搾取」と錯覚させられている。それが「階級国家論・階級支配論」「搾取理論」という嘘理論である。「私の左翼時代−洗脳されて革命運動に参加」という文で書いたように、今日の日本には階級支配などないし、日本の資本主義に搾取はない。日本は帝国主義ではない。戦前昭和期の日本が全体主義の帝国主義だったのは、日本の法の支配を否定し、国際法を否定する革新=左翼体制の国家だったからである。左翼は、平等思想と前記した虚偽理論のレッテル貼りによって「捏造された日本像」を、現実の日本国家社会の実体だと思い込まされて、日本の体制や日本そのものを憎悪させられているのである。洗脳である。かつて左翼であった私が言うから間違いない。しかし洗脳されている本人には、このことが全く分からないのである。洗脳の恐ろしさである。

 平等思想、左翼理論は、国民を独裁支配し世界を独裁支配したいと思ったマルクスやレーニンやバクーニンや毛沢東らが作りあげた謀略思想である。法の支配を否定するのが革新=左翼である。法の支配があって初めて国民の権利・自由は保障される。法の支配を否定したら、独裁国家が出現するだけである。左翼の人々には真剣に考え続けていって欲しいと思う。

おわりに

 私の思想的転向のプロセスを書いた。左翼のほとんどは日本革命派であるから、彼らの理論と反日革命を目指した私のそれでは、異なる部分も多い。しかし基本的な理論は共通している。私が左翼思想の誤りを自覚して否定するのに、こんなに長くかかってしまったのは、「平等=善、不平等=悪」の平等思想の誤りと、「日本は資本主義的搾取と階級支配がなされている国であり、対外的には帝国主義国である。だから我々は革命によって、現在の経済制度と政治制度を打倒して新しいものに転換して、搾取と政治的支配と対外的侵略(経済的・政治的)のない、共産主義社会を建設していかなくてはならない」という思想の誤りを、認識して自ら否定していくことが、一旦これに洗脳されてしまった者にとっては、いかに困難であるのかを示しているだろう。

 保守派から、左翼を解体・変革していくための思想的、理論的な批判はほとんどなされてきていない。国民の一部分が、左翼思想に洗脳されていくのを防止するための思想的、理論的な活動はほとんどされてきていない。保守派自身がそういう思想と理論をちゃんと持ち得ていないのである。左翼思想を明確に否定しえないということは、保守思想自身の未熟さの現われである。第四節に述べたような思想や理論は、本来学校教育の中でも教えられなくてはならないものである。

 微力な私であるが、自由主義国家日本のために私にできることを少しでも多く行っていきたいと思っている。(2008年7月29日記・2009年5月12日掲載・6月10日誤字訂正)


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