国際法に合致する本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)に違反する現在の反日的憲法9条解釈は、憲法98条1項により無効である

●安倍首相は「法の支配」を言って「国際法の支配」を否定する一在外邦人救出/後方支援活動/自衛隊

 自衛権(個別的自衛権および集団的自衛権)の行使や国連の集団安全保障措置などなど軍事に関することは、国際法によって律せられる。安倍首相は「法の支配」(国際法の支配を含む)を言うが、全くの嘘である。「法の支配」と一見もっともらしいことを言って、国民の精神を麻痺させて騙しているのだ。

 例えば、平時における「在外邦人の救出」(北朝鮮に拉致された日本人の救出)は、国際法が合法とするものだ。「法の支配」を口にする安倍首相は、今回の「安全保障法制法案」(安倍首相は「平和安全法制法案」と称する)で、拉致被害者を自衛隊を投入して救出できるようにしたか?自衛隊法改正案の84条の三の1項2号は、「自衛隊が救出することに当該外国の同意があること」となっているから、不可能である。この自衛隊法は国際法に違反している。安倍首相は「法の支配」を否定しているのである。安倍首相の言う「国民の命を守る」は嘘である。

 安倍首相は、「重要影響事態」における米軍等や「国際平和共同対処事態」における多国籍軍に対して日本が行う「後方支援活動」(「協力支援活動」)は、「他国の武力行使と一体化しないものだ」と言う。しかし日本が行うという燃料、水、弾薬、トラックなどの補給(提供)、兵員、武器、弾薬などの輸送、壊れた戦闘車両などの修理、傷病兵の医療と医療機具の提供、通信情報支援や通信機器の提供などは、国際社会においては「兵たん(活動)」と呼ばれている活動であり、「戦闘行為と一体不可分の活動」とされているものである。兵たん(活動)は、「軍事行動の不可欠の一部」であり、「戦争行動の中心的構成要素」である。

 だから、日本が行う米軍等や多国籍軍への「後方支援活動」は、現に戦闘行為が行われている現場以外の場所で行われようとも、「他国軍の武力行使(戦闘)と一体化するもの」である。つまり、安倍首相の答弁も現行の「周辺事態法」も「重要影響事態法案」も「国際平和支援法案」も、国際慣習法に反しているのである。国際法を否定しているものだ。安倍首相は口を開けば「法の支配」ともっともらしいことを言うが、国民騙しであり、「国際法の支配」を否定しているのである。

 日本は以前アフガニスタン戦争で、タリバン独裁政権を打倒するべく戦闘(武力行使)を展開する米国などの12カ国の軍隊に、インド洋上で給油活動を行った。日本政府はこの給油活動を、「他国軍の武力行使と一体化しない、協力支援活動(後方支援活動)であった」と言ってきた。安倍首相も今の国会でそのように答弁している。しかし国際社会では、そのように考える国は日本以外には一国もない。日本の自衛隊の給油活動は、他国軍の戦闘行為(武力行使)と一体化する兵たん活動であった。国際社会は、日本は有志連合の一員としてタリバン政権への軍事行動に給油という兵たん活動をもって参加したととらえたのだ。日本もアフガニスタン戦争に兵たん分野で参加したのである。これが国際社会の常識である。

 国際社会は、日本の自衛隊を軍隊と認識している。主権国家であれば、国防や友好国の防衛また平時の在外自国民救出のためなどに軍隊を保持するのは当然であるからだ。また日本は1952年6月に国連に加盟申請をした。国連憲章4条に基づいて日本は、「加盟国としての義務をその有するすべての手段を持って履行する」との「誓約書」を提出した。一切の留保手続きはとっていない。加盟国は憲章42条、43条、45条で規定されている「国連軍」に空軍、海軍、陸軍を提供する義務を負う。今日的には、安保理決議(42条)に基づき集団安全保障措置の軍事制裁を実行する「多国籍軍」に参加するということだ。つまり国家は国連に加盟を承認してもらうためには、国防軍を保有していなくてはならないのだ。日本は1954年7月に自衛隊を創設し、国連に対して「国防軍」であると説明したのである。それで、1956年9月に加盟が承認されたのである。しかし、自衛隊は日本国内では、軍隊ではなく実力組織だと言われているのである。

 今、在外邦人の救出、後方支援活動、自衛隊について述べたが、日本の常識と国際社会の常識はこんなにも大きく異なっている。それは日本が国際法の支配(法の支配)を否定しているからである。日本は軍事に関する国際法を否定して、日本国内でしか通用しない独善的な内容(つまり反日的な内容)の法律を作ってきたのである。普遍性を持つ国際法を支持してその支配を受けるのが、文明国家である。国際法を歪めたり否定するのは、すなわち「法の支配」を踏みにじるのは非文明国家がすることであり、また内なる侵略勢力である左翼が常に行うことである。

 日本がこのようになるのは、国際法に合致する本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」と言われているもの)を否定して、まさしく「反日的な憲法9条解釈」(閣議決定)を繰り返してきたからだ。安倍首相もそうである。だから国際法に反する法律が作られるのである。

 私は「日本の他国軍に対する後方支援活動は、他国軍の武力行使と一体化するものだから、憲法9条に違反している」と言いたいのではない。これを言う者は反日左翼である。私は、現在の反日的な憲法9条解釈(閣議決定)は、国際法に合致する本来の憲法9条解釈に違反しており、憲法98条1項によって無効だと主張しているのだ。あなたが「法の支配」を言うのであれば、現在の憲法9条解釈の無効を支持しなくてはならない。そして、現在の反日的な憲法9条解釈に基づいて作られた法律も、本来の憲法9条解釈や国際法に違反していて無効である。このことも支持しなくてはならない。

●国際法に合致する本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)一日本は米国等と法的に全く同等に軍隊を運用できる

 国際法に合致する本来の憲法9条解釈は、「芦田修正論」と言われているものであり、1946年8月1日に衆議院の「帝国憲法改正小委員会」で、委員長の芦田均氏が原案文の9条2項の冒頭に、「前項の目的を達するため」の文言を挿入する修正を行い、9条2項の意味を国際法に合致するように根本的に改正したものをいう。まず9条の条文を書いておこう。

 「9条1項。日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。

 「9条2項。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。

 9条1項は、日本が当事国である国際紛争を解決する手段としての戦争と武力による威嚇、武力の行使を放棄したものである。すなわちこれは侵略戦争や侵略のための武力による威嚇、武力行使を禁止したものである。侵略戦争を違法にした1928年の「不戦条約」(1条「国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし…国家の政策の手段としての戦争を放棄することを…宣言す」)や、国連憲章2条4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力行使も…慎まなければならない」と同じ条文である。

 憲法9条2項は、前項(9条1項)の目的を達するために、すなわち国際紛争を解決する手段としての戦争と武力による威嚇、武力の行使を放棄するために、陸海空軍その他の戦力を保持しない、国の交戦権を認めない、と定めたものである。従って、日本が当事国である国際紛争を解決するための手段としての戦争や武力による威嚇や武力の行使(すなわち侵略目的の戦争と武力の威嚇、武力の行使)に用いる軍隊(戦力)の保持や交戦権は禁止されるが、それ以外の個別的・集団的自衛権を行使するための軍隊の保持や交戦権は、禁止されてなく容認されているのである。また、国連安保理決議に基づく集団安全保障措置の多国籍軍による軍事制裁や、国連のPKO活動に参加するために、軍隊を保持することや交戦権を持つことも、禁止されてなく、容認されているのである。

 憲法9条1項は、日本が当事国である国際紛争を解決する手段としての戦争と武力による威嚇や武力の行使(つまり侵略目的のそれら)を放棄したものである。しかしもちろん、主権国家の固有の権利である自衛権(個別的・集団的)は有るのであり、日本や日本の友好国が他国から武力攻撃されたときに、日本が個別的・集団的自衛権を行使して自衛戦争をしたり、自衛の武力行使をすることは、禁止されてなく容認されているのである。また、国連安保理決議に基づく集団安全保障措置の多国籍軍に参加して、戦争したり武力行使することも禁止されてなく容認されているのである。

 日本は憲法9条2項によって、侵略以外の目的での、つまり自衛等のための軍隊の保持と国の交戦権を容認されているのであり、憲法9条1項によって、侵略戦争や侵略の武力行使以外の、自衛(個別的・集団的)のための戦争や武力行使、あるいは国連の集団安全保障措置としての多国籍軍に参加して戦争したり武力行使することを容認されているのである。

 これが本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)である。国際法に合致しているものだ。つまり、日本は米国等と法的に全く同等に軍隊を運用できるのである。芦田均氏が前記のように修正したとき、GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー元帥はすぐに同修正を承認し(8月)、在ワシントンの連合国極東委員会(11カ国)もすぐに(9月)承認したのである。

 日本は主権を回復したときには、国際法に合致したこの本来の憲法9条解釈の下で、新国防軍を創設していくことができたのである。

●現在の反日的憲法9条解釈

 だが、歴代内閣はこの本来の憲法9条1項2項解釈を否定し、反日的憲法9条解釈(閣議決定)を繰り返してきた。次のようなものである。

 「憲法9条1項は侵略戦争を放棄したものだ。だが日本は自衛権と自衛のための武力行使は放棄していない。憲法9条2項は軍隊(戦力)の保持を禁止した。しかし自衛するための(軍隊ではない)必要最小限度の実力組織の保持は禁じられていない。従って、憲法9条の下で認められる日本の自衛権の発動としての武力の行使は、必要最小限度にとどまるべきものである」。

 これは自衛権の行使に関する部分の解釈である。政府は、日本の自衛権行使を「専守防衛」と言う。そして「自衛のための武力の行使は必要最小限度に止まるべきものだから、一般に海外派兵(すなわち武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣すること)は憲法9条によって許されていない」とした。また「集団的自衛権の行使も、自衛のための武力行使は必要最小限度の範囲にとどまらねばならないから、憲法9条の下では認められない」とした。

 自衛権(個別的・集団的)は国際法が規定している。国際法は、国家は軍隊によって自衛権を行使するとする。自衛権の行使とは、国際法上の国家の正当防衛行為である。従って、国家がもし軍隊を保持しなければ、その国家は自衛権を全面的に行使することはできなくなる。個別的自衛権の行使についても同様であり、全面的に行使することはできなくなる。

 ただ、国家が軍隊を保持していなくても、国民全体の「緊急避難行為」(これは国際法ではなく国内法の規定だ)として、実力組織によって自衛の措置をとることはできる。しかしそれは、軍隊による自衛権(個別的・集団的)の行使=国家の正当防衛行為に比べて、大きな制約を受けることになるのである。簡単に言えば、自衛権を全面的に行使することはできず、部分的にしか行使できないということである。それゆえ政府は、「日本の自衛権発動の3要件」として、(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること、(2)これを排除するための他の適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、と制約をもうけたのである。(2)を緊急避難の補充性という。(3)を緊急避難の法益権衡という。政府は(3)から、一般に海外派兵は許されていない、集団的自衛権の行使は認められない、としたのである。全部をまとめて「専守防衛」とした。

 もちろん普通の国家は、軍隊を保持して軍隊によって自衛権を行使(国家の正当防衛行為)するから、(1)(2)(3)ではない。このような制約を課すのは日本だけだ。

 自衛権は軍隊によって行使するから、軍隊を保持するか、しないかが核心である。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(柳井俊二座長。柳井氏は国際海洋裁判所長。元外務事務次官)は、2014年5月15日に「報告書」を安倍首相に提出した。「報告書」は「あるべき憲法(9条)解釈」として、「芦田修正論」を提言したのであった。法的にも全く正しく、日本を救う提言であったのに、反日左翼の安倍首相は当日夕方の記者会見で、直ちに「芦田修正論は政府として採用できない」と拒絶し、軍隊の保持等を否定したのであった(私の2014年5月29日脱の文も参考にしてほしい)。この安倍首相の反日記者会見(反日犯罪)を等閑に付して、批判できなかった「保守派識者」は、真剣に反省してもらいたいものである。

 なお安倍内閣は、日本の自衛権発動の「必要最小限度の実力行使(武力行使)」の中には、「集団的自衛権のごくごく限定された行使も含まれる」という解釈を打ち出した(2014年7月1日閣議決定文「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」)。次である。「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきである」。

 この閣議決定文に盛り込まれた自衛権発動の「新3要件」は、今回の安全保障法制法案にも盛り込まれている。これまでの3要件は法律には規定されていなかった。第1要件が法律に規定されることによって、日本は個別的自衛権の発動もより制約されることになっていく。中共が軍事的に尖閣諸島を占領しても、国会内外では「小さな無人島が占領されても、自衛権発動の第1要件には該当しない。発動することは法律違反だ!」と、反日左翼が大反対運動を展開することになるからだ。中共の尖兵の安倍首相はこれを狙ったのである。なお、集団的自衛権のごくごく限定された行使は、現実には行使されるケースはほとんどない。だから嘘である。

 次に、国連安保理決議に基づく集団安全保障措置としての多国籍軍による軍事行動(軍事制裁)への参加についてである。歴代内閣は、「憲法9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇にあたる行為については、我が国としてはこれを行うことが許されない」と狂った憲法9条1項の解釈をして、多国籍軍の戦闘行為(武力行使)への参加は許されないとしてきた。

 安倍首相はどうであったか。全く同じである。前記「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の「報告書」が、「国連の集団安全保障措置は、我が国が当事国である国際紛争を解決する手段としての武力の行使に当らず、憲法上の制約はないと解釈すべきである。国連安全保障理事会決議等による集団安全保障措置への参加は、国際社会における責務でもあり(憲章2条5項)、憲法が国際協調主義を根本原則とし、憲法第98条が国際法規の誠実な遵守を定めていることからも、我が国として主体的な判断を行うことを前提に、積極的に貢献すべきである。…軍事力を用いる強制措置を伴う場合については一切の協力を行うことができないという現状は改める必要がある」と、全く法的に正しく説得力ある提言をしたにもかかわらず、安倍首相は一蹴したのであった。彼の思想性が示されている。  

「報告書」が首相に提出された昨年5月15日の夕方の記者会見で、安倍首相は「『芦田修正論』は政府として採用できない。自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と述べたのである。1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争は、国連の安保理決議に基づいた集団安全保障措置の多国籍軍による軍事行動(制裁)であった。

 安倍政権が国会に提出している、安保理決議に基づいて戦闘行為を行う多国籍軍に対して、日本が行う協力支援活動(後方支援活動)等を規定する法律案「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」(国際平和支援法)も、その2条2項で「(我が国が行う)対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当るものであってはならない」と定めている。

 国連加盟国は、国連憲章2条4項(「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使も…慎まなければならない」)で、国際関係の紛争のための武力による威嚇、武力の行使は禁じられているが、一方で国連憲章42条に基づく国連の集団安全保障措置の多国籍軍による軍事行動には、憲章2条5項によって、「すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え」なければならない義務を負っているのである。そして日本の憲法9条1項は、国連憲章2条4項を受けてつくられた条文である。

 以上で、安倍首相が憲法9条1項を歪曲し否定していること、また国連憲章2条5項を否定していることが明白である。安倍首相は「法の支配」を語って(嘘)、「法の支配」を否定する人物である。

 歴代内閣そして安倍内閣の憲法9条1項2項解釈が、反日的解釈であることは明らかである。国際法に合致している「芦田修正論」や「安保法制懇」の「報告書」(2014年5月15日)の憲法9条解釈と比較すれば、一目瞭然だ。また安倍内閣が国際法を否定していることも明白である。

●現在の憲法9条解釈は国際法に合致する本来の憲法9条解釈に違反しており、憲法98条1項により無効である

 現在の日本国民は法に関する思想が狂ってしまっている。つまり、悪法であっても法である以上は従わねばならないと考えてしまっている。だが、悪法は無効なのである。

 現在の憲法9条解釈は先に述べたものだ。自衛権行使に関する核心的解釈は、「憲法9条2項は軍隊の保持を禁止している」というものだ。国際法は主権国家に軍隊の保持を認め、軍隊によって個別的自衛権と集団的自衛権を行使することを認めている。憲法9条2項が軍隊の保持を禁止しているならば、日本が自衛権(国家の正当防衛権)を全面的に行使することができなくなり、制約された形でしか行使できなくなる。必要最小限度の行使である。そのために日本は密接な国を防衛することができなく、また日本自身が侵略されて滅びてしまうことになるかもしれない。

 だから、このような憲法9条2項(の解釈)は反日的解釈であり、悪法の極みである。この憲法9条2項を守らねばならないと主張する者は、正常な日本国民ではない。反日左翼であり、日本内部の侵略者であって、侵略国家(ロシア、中共、北朝鮮)の尖兵である。非国民だ。正常な日本国民ならば、そのような憲法9条2項(の解釈)は無効であると断じなくてはならない。

 その法的根拠は次である。国際社会を律する(支配する)のは国際法である。日本が当事国となる国際紛争を律する法は国際法であって、日本の憲法9条解釈に基づいた「専守防衛」の「安全保障法」ではない。日本の憲法9条は国際法に合致しているものでなくてはならないし、日本は憲法9条を国際法に合致するように正しく解釈しなくてはならないのである。国際法に合致する本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)は、条文の合理的な解釈によって導き出されているものだ。だから、GHQも連合国極東委員会もすぐに承認したのであった。現在の憲法9条解釈(閣議決定)は、国際法と同じである本来の憲法9条解釈に反しており、憲法98条1項によって無効である。憲法98条1項とは、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」である。

 日本には古くから伝えられてきた永遠の真理・正義である<法>がある。憲法も法律も、その<法>に支配されて制定されなくてはならない。<法>に反するものは無効である。これが<法>の支配である。その<法>の第1は、「日本は軍隊を保持する」である。日本はもし軍隊がなかったら、軍事侵略から国を守ることができない。そうなれば、国民の生命、身体、財産、自由も守ることができない。軍隊がなかったら、平時における在外邦人の救出もできない。現在の憲法9条2項解釈(軍隊保持の禁止)は、<法>に違反していて無効である。芦田均氏は<法>に支配されて「芦田修正」をなして、正しい憲法9条にしたのである。

 次に、「国際社会の平和と安全」への日本の貢献に関する現在の憲法9条解釈である。国連憲章2条5項は、安保理決議(42条)に基づく集団安全保障措置である多国籍軍による軍事制裁に参加することを加盟国の義務だと規定している。ところが政府は、「軍事制裁(戦闘行為)への参加は憲法9条1項が禁じている武力の行使又武力による威嚇に当るから、参加できない」としてきた。国連憲章(国際法)の否定である。「法の支配」の否定である。言うまでもなく、国際法が正しく、この反日的憲法9条1項解釈が誤まりである。これは左翼が自己の恣意的な立場から普遍的な「法の支配」を否定するのと同じである。日本政府のこの立場は、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」(日本国憲法「前文」)に違反しており、日本の名誉を著しく貶めてきたのであった。

 国際法に合致した本来の憲法9条1項の解釈(芦田氏)は、既に述べた。「安保法制懇」の「報告書」も、「憲法第9条第1項の規定…は、我が国が当事国である国際紛争を解決するために武力による威嚇又は武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり…国連PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」と、芦田氏と同じく正しく憲法9条1項を解釈した。安倍首相へ提出されたが、当日拒絶されている。私たちは反日の安倍首相を断じて許してはならない。

 日本が国際社会において名誉ある地位を占めるためには、私たちは現在の反日的な憲法9条1項解釈(閣議決定)を、「国際法に合致する本来の憲法9条1項解釈に違反していて、憲法98条1項により、無効である」と断じなくてはならない。「法の支配」を支持する者は、このようにする義務がある。

 安倍内閣が2014年7月1日に閣議決定した文(「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」)も、本来の憲法9条解釈に違反していて、憲法98条1項により無効なのである。この閣議決定文に基づいて作られた、国会で審議中の安全保障法制法案も、本来の憲法9条解釈に違反しており、憲法98条1項によって無効である。

 次のように言うこともできる。憲法98条2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」である。つまり、軍事に関する国際法に反する日本の法律は、憲法98条1項によって無効であるということである。

 1節目で少し書いたように、今回の安全保障法制法案は、ことごとく国際法に反していて無効である。国際法が認める平時における在外自国民の救出については、法案は自衛隊を投入して拉致被害者を救出することが不可能な条文になっている。他国軍の武力行使と一体化する後方支援活動を法案は、「武力行使と一体化しない」と言い張っている。自衛隊も国際社会においては軍隊と認識されているのに、国内法では、軍隊ではない実力組織だとしている。このように、国際法に反する「無効の法律」しか制定できない「現在の憲法9条解釈」も、また無効であるのは明らかだ。

 「法の支配」とは、古くから伝承されてきた永遠の真理・正義である<法>を発見して、「正しき法」(正しき憲法)を制定して、正しき法に支配される統治(外交、内政)を行うことをいう。もちろん国民も法の支配を受ける。しかし今日の日本国民は、政府も一般国民も誤った法思想しか持っていない。政府が<法>に反する反日的な誤った法を制定しても(解釈しても)、有効であり、国民はそれに従わねばならないと考えてしまっているのである。それを「法の支配」と思い込まされている。つまり、反「法の支配」を「法の支配」だと思い込まされている。これでは国民はどんどん腐敗していくしかない。もちろん政府を糾弾することなどできない。

 現在の憲法9条解釈は反日的な解釈であり、国際法に合致している本来の憲法9条解釈に違反していて、憲法98条1項によって無効である。私たち心ある日本国民は、反日左翼の安倍首相らを打倒して、現在の憲法9条解釈を否定し、本来の憲法9条解釈を支持する閣議決定を獲得していく戦いを展開していかなくてはならないのである。日本の安全と存立を守るためにである。

●最高裁砂川判決---田中耕太郎長官の補足意見は「芦田修正論」と同じである

 1959年12月16日、最高裁は砂川裁判の判決を出した。最高裁長官の田中耕太郎裁判官の「補足意見」を紹介しておきたい。

 「一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。したがって自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。およそ国内問題として、各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる『権利のための戦い』であり正義の要請といい得る。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である」。

 「我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からではなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心をもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない」。

 田中長官の補足意見は、日本は個別的自衛権も集団的自衛権も全面的に行使して、国際の法秩序全体を守る義務を果さなくてはならないと主張しているものである。「自衛はすなわち他衛、他衛はすなわち自衛」「自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである」である。これは本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)と同じだ。

 田中長官の補足意見は、憲法学界のほとんど(95パーセント以上か?)を占める反日左翼の「憲法9条解釈」を徹底的に批判したものになっている。憲法学界は「学界」ではない。旧ソ連・現ロシア、中共、北朝鮮の尖兵で、国内の侵略勢力である共産主義者たちの集りでしかない。反日左翼が言う「学問」とは、憲法学もそうであるように例外なく反学問である。反日左翼は自らの狂ったイデオロギーによって真理を歪曲否定し、真理追求の学問を否定する。彼らは虚偽理論をでっち上げて「学問」と称して、それを流布して、日本国家、社会、国民の心を破壊していくこと追求している。反日左翼が言う「学問」とは、反日闘争の手段であるから、「学術的装い」をこらしているが嘘が本質の反学問なのである。

 反日左翼の憲法「学者」は「立憲主義」を主張する。彼らは、正しい立憲主義を否定し破壊するために「立憲主義」という言葉を使っているのである。つまりこの用法は「転倒語法」なのである。立憲主義というのは、永遠の真理・正義である<法>を発見して、<法>に支配されて「正しい憲法」を制定して、つまり本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)に立脚して、それで政府を支配することをいう。もちろん国民も支配する。だが反日左翼は、完全に誤った憲法9条解釈を法だとして、それで政府を支配し、日本を国防不能な国にして、侵略国に日本を侵略させようとしているのである。今述べた95パーセントの憲法「学者」が言う「立憲主義」も、反日左翼の学問が反学問である好例である。

 歴代内閣また安倍内閣の最高裁砂川判決の評価も、反日左翼の憲法学者とは異なるものの、やはり本来の憲法9条解釈(「芦田修正論」)を完全に否定し、田中最高裁長官の補足意見を完全に否定するものである。

 心ある保守派は、以上に述べた真実を自己批判的にしっかりと認識しなくてはならない。<法>の支配や「法の支配」の思想を学び、政府その他から自立した主体形成をしていかなくては、批判精神は培われていかないのである。日本人は本当に集団主義、権威主義で権力に弱いのだ。私たちは反日左翼の安倍首相を打倒しなくてはならない。

 私たち保守派はまた、反日左翼の憲法「学者」や連携する反日左翼のマスメディア(新聞、テレビ)を、違憲存在の侵略勢力と規定して打倒していく戦いを展開していかなくてはならない。反日左翼の安倍首相らは、反日マスコミを非難した数名の自民党議員を逆に批判して、反日マスコミを大いに助けた(6月末)。首相の正体は明白である。「報道の自由」や「言論の自由」は断じて無制限ではないのだ(憲法12条と13条)。

 2015年7月16日脱

大森勝久

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