反日左翼と戦うために「法の支配」の思想を獲得せよ

●無法の「ストレステスト導入」で全原発を止めた民主党反日政権と、これを糾弾できない「エリート層」

 民主党政府は5月18日、「今夏の電力需給対策」を正式決定した。企業と家庭に過大な節電という犠牲を求めるものである。日本経済を破壊するものであり、国民を一層従順に飼い馴すものだ。節電はこれで3度目になる。もし、夏場に老朽火力発電所が故障すれば、大停電に直結することになる。ここには、決定的に重大な問題がいくつもある。

 もちろん第一には、無法が本質の民主党左翼反日政権の存在である。日本は彼らによって侵略され破壊されつつあるのだ。もし民主党政権が、「原子炉の規制に関する法律」に基いて原発行政を行っていれば、原発は稼動しており、「節電」などにはなっていない。しかし「法的ルール」を否定・破壊するのが、左翼だ。左翼は、無法が本質である。民主党政権は、昨年2011年7月の「ストレステスト(耐性検査)導入」の無法によって、50基の原発全てを止めていったのだ。その結果、何千人もの人が死んでいる(3月31日脱論文『福島原発事故の「放射線恐怖」は虚偽であるー「除染」は不要であり、今すぐ帰還できる』の最後の節参照)。

 もうひとつは、民主党政権を左翼反日政権だと糾弾することができない、日本の「エリート層」の欠陥である。「ストレステスト導入」は、前記法律の破壊であり、無法の国家権力による企業と家庭への弾圧であるのに、日本の「エリート」たちは批判できなかった。「エリート」失格である。

 またもうひとつは、民衆こそが反自由の左翼全体主義を支える存在であることが、はっきりと示されたことである。民主党政権は新聞、テレビなどのマスコミを利用して、「放射線恐怖」「反原発」をプロパガンダ(嘘宣伝)してきたが、民衆は簡単に洗脳されてしまって、「反原発・全体主義」を下から支えてきた。だから保守派が、(民衆と同じ意味合いで)国民に拝跪するのは完全な誤りなのだ。国民の大部分は民衆である。

 またひとつは、経済界(人)の問題である。組織も資金もあるのだから、無法の悪の民主党政権に対して、大々的な抗議の署名広告の掲載、大規模な抗議の街頭行進、あるいは裁判所への提訴という形で闘って当然であるのに、全くそんなことはしない。彼らは、不満を口にしながらも政府の決定に従ってしまう。アメリカの経済人ならば決してそんなことはない。彼らは闘う。日本の経済人には、深刻な思想的な問題があるわけである。

 日本の経済界には、民主党政権が左翼政権だとの認識も欠如している。親中の経済人がすこぶる多いから、なおさらだ。そして経済界には、政府は法律に支配されて行政をしなくてはならず、これに違反する政府は憲法違反として糾弾されねばならない、という基本的な思想すら極めて薄弱である。だからほとんど「お上意識」になってしまっている。これでは、自由社会を守っていくことはできない。

 日本における政治教育は、欠陥だらけであるということだ。そもそも、正統な政治教育は全くなされていないのだ。

 民主党政権の問題からみていこう。昨年2011年4月末、経済産業省の「原子力安全・保安院」は、中部電力浜岡原発について、「大津波が来て全電源喪失となった場合の対策は講じられた。安全性は確保されている」と評価した。海江田経済産業大臣も翌5月の初めに、「技術上の安全基準を満している」と言っていた。

 ところが、その直後の5月上旬に菅首相は、民衆の反原発感情を利用して、法律(原子炉の規制に関する法律)を無視して、国家権力の無法の強権によって、また民衆の世論の圧力によって、浜岡原発を運転停止に追い込んでいったのであった。これは私有財産権の侵害でもある。反日左翼の国家権力と民衆が一体となって、無法の強権で停止させたのだ。海江田大臣も、原子力安全・保安院の官僚も、「法律に違反する行為だ」と抗議して闘うことはなかった。明確な職務違反だ。

 民衆はこの菅民主党政権の無法行為を圧倒的に支持したのであった。読売新聞の世論調査によれば(2011年5月13日から15日に実施)、68%もの民衆が支持したのである。

 「エリート層」が、断固としてこの無法を糾弾し、マスコミを通じて大きな声にしていけば、民衆は「大きな声」に影響される存在であるから、状況は別なものになりえた。しかし「エリート層」でそうする者は、ごく少数でしかなかったのだ。「法の支配」の思想が獲得されていないという、思想的欠陥のためである。そればかりか後で述べるが、「法治主義」の思想すら身についていないのが日本の「エリート層」である。なによりも、「エリート層」に属する保守系大新聞(読売新聞)が、ダメであるから、批判が大きな声になることはできなかった。たまに良い主張が載っても、それは、その他の厖大な誤った記事に埋れて、「存在しない主張」になってしまうのだ。

 東日本大震災後、経済産業省の「原子力安全・保安院」の指示により、全国の各原発では、巨大津波・地震で全電源が喪失した場合にも対応できる「緊急安全対策」が講じられてきた。運転中の原発は運転しながらこの対策を講じたし、定期検査で停止中の原発は、停止中に対策をとった。そして原子力安全・保安院が検査をして、安全性を確認したのである。これを受けて2011年6月18日、海江田経済大臣は「安全宣言」を出したのであった。

 海江田大臣は6月29日、定期検査で停止中の九州電力の玄海原発2、3号機の地元である玄海町の町長岸本氏に、安全性は確保されているので、再稼動を認めてくれるよう要請した。岸本町長は7月4日、九州電力に対して再稼動を了承する旨を伝えたのである。経済産業省が頑張ったということである。これで、問題は解決するところだったのだ。玄海原発が再稼動すれば、定期検査停止中の原発も続いていくことになるからだ。

●「ストレステスト導入」は「無法の人の意志による支配」である

 だが日本政府を乗っ取った、無法の反日左翼勢力が支配する民主党政権が、この「正常化」を許すわけはなかった。独裁主義者の菅首相は7月6日、閣議に諮ることもなく突如、「原発の再稼動のためにはストレステスト(耐性検査)実施が条件になる」と言い出して、玄海原発の再稼動を阻止したのだ。そして民主党内閣は7月11日に、「ストレステスト実施を原発再稼動の条件にする」との「内閣の統一見解」を発表した。海江田大臣は屈服した。原子力安全・保安院の官僚も、この無法に屈した。

 しかし「原子炉の規制に関する法律」では、定期検査で停止した原発は、専門家集団の原子力安全・保安院の係員が検査をして安全性を確認すれば、経産大臣がOKを出して、再稼動となるのだ。これが法律が定めたルールである。海江田大臣は6月18日に「安全宣言」を出した。だから政府には、再稼動させる義務があるのだ。

 この法律のどこにも、「ストレステスト(耐性検査)」など無い。民主党内閣が「反原発」や「脱原発」であっても、その内閣の意志だけで、ストレステスト実施を原発再稼動の条件にすることはできないのだ。それをやれば、この法律の否定である。法律の制定や改廃を行う議会の否定である。旧ソ連や中国の共産党と同じ独裁国家権力になる。つまり、「法律に基いた行政」ではなく、「法律なしの(無法の)人の意志による行政」になる。まさしく野蛮国家である。実際、民主党左翼政権は、これを実行していったのだ。

 もし、ストレステストを行うのであれば(これは、原発が設計上の想定を上回る巨大な地震や津波に襲われたときに、原子炉などの重要な設備が、どこまで(何倍まで)耐えられるか、安全の余裕度を調べる検査である)、既に安全性は確認済みであるから、まず法律に基いて直ちに再稼動させて、運転をしながらこのテストをすればよいのだ。欧州各国もそのようにしてストレステストを実施している。この場合のストレステストは、安全の余裕度を向上させていくことが目的となる。これであれば、問題はない。

 大震災直後の「緊急安全対策」も、稼動させつつ実施された。だから、既に安全宣言が出されているのに、ゆうに半年以上もかかるストレステストを実施して、かつ「政治の判断」で許可を出さなければ、再稼動を認めない、とする「内閣の統一見解」が、日本経済と社会の破壊、および国民を一層従順な奴隷にすることを狙った、法律を否定した憲法違反の国家権力犯罪であることは明白なのだ。

 それなのに、日本の「エリート」を自負している人々の中で、どれだけの人がこの無法の国家権力犯罪と、民主党反日政権そのものの「違憲存在性」を、糾弾しただろうか?ほとんどいなかった。日本では「エリート層」にも、エリートに不可欠の「法の支配」の思想が獲得されていないからだ。だが「法の支配」の思想は無くても、「法治主義」(憲法と法律による行政)なら、誰でもが知っている。民主党政権は、先の「原子炉の規制に関する法律」を改正(悪)することもしなかった。つまり、この「法治主義」を否定した、「無法の人の意志(内閣の意志)による支配」が断行されていったのに、「エリート」たちは闘うことをしなかった。「法治主義」さえも身についていないということである。「エリート」失格だ。

 こういうエリートの資質に欠ける人々が各界の主要な地位を独占している。それによって、本物のエリートの活躍の場を奪っている。今日の日本社会には、原理、原則がなく、それを基盤にした競争もない。悪い意味での官僚制が至るところにある。だから「エリート層」は知的(学問的)にも劣化が酷い。

 「エリート層」でさえこのようであれば、それ以外の人々がどういう対応をすることになるかは、容易に想像されよう。左翼反日政権がマスメディアを使ってプロパガンダ(嘘宣伝)すれば、民衆を洗脳することは簡単である。新聞、テレビが果す害は極めて大きい。民衆はストレステスト導入による原発の再稼動阻止を、熱烈に支持していったのだ。反原発の左翼全体主義である。民衆には、自分の首を絞めることになることがわからない。 

 戦前の「左翼反日国家」が行った、国家反逆の大東亜戦争(日支戦争と太平洋戦争)も、民衆の支持においてなされたのである。当時も、左翼全体主義体制であった。

●誤った「法治主義」を否定し、「法の支配」の思想を獲得せよ

 日本の「エリート層」に、「法の支配」の思想が確固たるものとして獲得されているならば、日本は、戦前1930年代以降のような「左翼反日国家」に革命されてしまうことはなかったし、大東亜戦争をすることもなかった。今日の反日左翼の民主党政権もありえないことであった。私たちは、真剣に自らの誤りや弱点を反省して、「法の支配」の思想を学んでいかなくてはならないのである。

 文明国家とは、「法の支配」が実現されている国家である。ここで言う<法>とは、議会でつくる(制定する)憲法や法律のことではない。憲法や法律の上位に存在するものが<法>である。「<法>とは、人間の意志から超越した古来からの『神聖な真理』のことを意味する」「<法>は『つくるもの』ではなく、祖先の叡智の中に『発見するもの』である」(中川八洋氏『保守主義の哲学』78頁。2004年4月刊)。

 <法>は、立法府、行政府、司法府という統治機関や国民の上位にあって、これら全てを支配するものである。これら全てが、その支配に服さなくてはならないものである。いわば<法>こそが主権者である。「法の支配」が実現されてこそ、国家権力は<法>によって制約され、国民の自由と権利は<法>によって擁護されるのである。

 「正しい憲法」は、この<法>を発見して、制定されなくてはならない。現在の人間の意志で、勝手につくってしまっていいものではない。古来からの国柄、良き伝統、良き慣習という「永遠の真理」「神聖な真理」である<法>を、発見して「正しい憲法」を制定するのだ。つまり「法の支配」である。「法の支配」が憲法の原理でなくてはならないのである。そのようにして制定された「正しい憲法」は、準<法>となる。もちろん法律も、<法>に反するものであってはならず、「法の支配」が貫かれなくてはならない。そうした法律は「正しい法律」である。

 「法の支配」の思想は、<法>に違反する憲法条項や法律の制定を認めない。もし制定されても、それを無効にする。その理由は簡単だ。<法>は「神聖な真理」「永遠の真理」であるから、<法>に反する憲法条項や法律は、「悪」であり、悪の法律によって統治(支配)がなされれば、日本の国家社会が破壊され、国民の自由と権利が否定され、国民の考え方と精神が全体主義のそれに改造されてしまうからだ。つまり自由主義国日本は滅ぼされる。さらには外国に占領されて消滅することにもなるからである。

 だから仮に、民主党政府が野党からも賛成を得て、数の暴力で「原子炉の規制に関する法律」を改正(悪)して、ストレステストの実施を再稼動の条件にしても、この悪の法律は「法の支配」に反していて、無効である。なぜならば、原発を全て止めて、日本経済と社会を破壊するからだ。火力発電で代替するため、煤煙が原因で亡くなる人を年間3000人以上も増やすからだ。失業者を増やして、自殺者も増やす。また国民を奴隷根性にするからである。これらは、この法律の1条(目的)で謳う「原子力基本法の精神」、すなわち、「将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活水準向上とに寄与することを目的とする」(基本法1条)を真っ向から否定するからである。

 「法の支配」は英米系の法思想である。明治憲法も英米系の法思想に基いて制定された、英米系の憲法である。明治憲法の「告文」」は、「皇祖皇宗の遺訓を明徴にし・・・・ここに皇室典範および憲法を制定す」と謳っている。古来から伝承されてきた<法>、天皇の祖先が遺した統治の<法>を発見して、成文法にしたということである。ただし、憲法条項の多くは、そのように仮構したものである。仮構であれ、そのように考えることによって、憲法条項を正しく権威づけて、「法の支配」の思想を身につけていくことをめざしたのであった。だが十分できなかったのである。

 今日の日本では、「法の支配」の思想は無い。「法治主義」しかない。そして、「法の支配」の言葉を「法治主義」と同じ意味で使っている。中川八洋氏によれば、日本の憲法学界には「法の支配」を正しく理解している学者は一人もいない(中川氏『悠仁天皇と皇室典範』248頁参照)。

 「法治主義」は「法の支配」とは全く別の思想である。「法治主義」(あるいは同じ概念であるが「法治国家」)で言う「法」は、議会がつくる憲法や法律のことである。<法>の思想と「法の支配」の思想が無いとき、「法治主義」になる。

 「法治主義」でも憲法の支配があり、憲法に反する法律は制定できないのであるが、憲法の条項に<法>に違反するものがあろうとも、有効ということになり、それに基いて制定された「悪の法律」も合憲ということになる。

 保守であるはずの自民党も、「憲法の3大原則の1つ」として、「国民主権」を挙げる。しかし「国民主権」は、<法>主権を否定するし、国民主権は民衆主権や人民主権とほとんど同じであり、左翼独裁国家・全体主義国家を誕生させる思想である。つまり<法>に違反していて無効であるのだが、「法の支配」の思想がないために、法治主義によって有効にされてしまっているのである。「政教分離」(憲法20条3項)や「両性の本質的平等」(同24条2項)も、<法>に違反していて無効だが、「法の支配」の思想がないために、「法治主義」で有効にされてしまっている。これらに基づいて「悪の法律」が制定され、「悪の判決」も出されている。

 憲法9条2項も、通常言われている解釈のものであれば、<法>に違反していて無効である。しかし「法治主義」では有効である。だが何度も書いたように、9条2項の正しい解釈は全く別であり、それは当時のGHQも認めたものである。内閣が従来の誤った解釈を是正する閣議決定をすれば、1週間で、日本の自衛権は米国と同等のものになるのだ。「憲法9条の改正」を言う人は、単なる保守のポーズをとっているだけで、日本を正常な国家にしようとは考えていない人である。

 「法の支配」が実現されている国家では、左翼政党も左翼団体も、違<法>違憲存在として、その結成を禁止される。左翼は、自由主義国の法秩序・道徳秩序を「ブルジョア法」「ブルジョア道徳」とレッテルを貼って否定し、国家社会を解体して、国民の自由と権利を否定し、独裁国家・全体主義国家に革命することを目標にしているからである。独裁国家・全体主義国家にされてしまえば、そこに「日本」という国号が冠されようとも、日本は滅ぼされたということだ。反日国家に変ってしまったということである。左翼は、さらには、ロシアと中国にこの「日本」を侵略占領させることを目標にしているからだ。

 民主党左翼反日政権が行った「ストレステスト実施」による全50基の原発の停止は、「法治主義」すら全面否定した、「無法律の人の意志(内閣の意志)による行政(支配)」である。悪の法律にすらよらない、「人の意志による支配」は、旧ソ連や中国で、共産党が政治局常務委員会が出す方針(命令)で、国家の統治をするのと同じだ。議会の否定だ。日本国憲違反は明明白白である。

 ところが、「エリート層」も産業界も、糾弾し闘うことができなかった。知的にも劣化が激しく、勇気もない。これでは、ほとんど「お上意識」ではないか。自民党政権時代であれば、「エリート層」や産業界の不満や批判は、政権が聞き入れてくれた。良い「お上」であったのだ。しかし、民主党左翼反日政権に変って、事情は一変した。戦わなければ、もう自由と権利、自由社会は守れないのだ。そのためには、保守主義の思想で武装しなくてはならない。

 <法>は、政府(立法、行政、司法)も国民も等しく支配する。「正しい憲法」もまた、政府も国民も等しく支配する。「法の支配」である。「法の支配」による立法、「法の支配」による行政、「法の支配」による裁判が、正義であり、これに反する国家権力は、悪であり、糾弾されなくてはならない。交代させられなくてはならないのである。ましてや、「無法の人の意志による行政(支配)」は、明確な国家権力犯罪である。日本国家に対する明確な反逆である。民主党は、直ちに国家機関から追放され、党は解散させられなくてはならないのだ。

 「お上意識」は、「法の支配」の思想がゼロだから生まれるものである。私たちは「法の支配」の思想を学び、身につけていかなくてはならない。保守主義とは<法>と「法の支配」を保守することである。保守主義は、<法>と「法の支配」を破壊して、独裁国家・全体主義国家を目指す反日左翼全体主義勢力との戦いによって、鍛え上げられていくものである。

 最後に一言、橋下徹大阪市長について触れておきたい。彼は「反原発」を主張し、「首相公選制導入、地方分権の推進、参議院解体、普天間飛行場の県外移転」を主張していることで明らかなように、反日左翼である。大前研一氏(アナーキスト)と親しいし、「大阪の形を一回全部解体して、一から作り直す」とか、「大阪の日本からの独立」を唱えたとも言われているから、アナーキストであろう。「独裁が必要だ」とも主張した。日本国家を解体して、独裁国家をつくるというわけである。橋下氏に接近する保守系の政治家も多いが、そういう政治家は信用してはならない。「橋下現象」は、まさしく左翼全体主義の典型である。ヒットラーの登場時に似ている。

2012年5月27日脱

大森勝久


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