政治家と軍人のあるべき正しい関係

      1. 軍人は政治に関与してはならない

 田母神航空幕僚長が「アパグループ」の懸賞論文に寄稿して、事実上更迭された。去年11月初旬のことであった。理由は田母神氏が、政府の「歴史確認」を180度転換することを目的として、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」などとする、論文「日本は侵略国家であったのか」を寄稿したためである。更迭は当然過ぎることだ。日本は自由主義国家である。法の支配、自由主義、議会制民主主義、自由主義経済という共通の価値を有すること、そしてロシアや中国等全体主義侵略国家に対する共通の国益を有することから、日本は米国と同盟を結び、英国など自由主義国家と友好関係を結んで、国際社会で生きている。このような歴史観を持つ人物が空幕長の地位まで登り詰めたということは、同盟国や友好国に対する日本の信頼性、従って国益を大きく損なう事件であった。自衛隊およびほとんどの自衛官にとっても大きな迷惑であった。

 田母神氏は国会の参考人招致の質疑や記者会見あるいは雑誌等で、「自衛官も言論の自由が認められているはずだ」「政府見解による言論統制だ」などと、更迭した政府を非難している。そして彼の歴史観と行動を強く支持支援する言論人たちも、同様に「言論の自由」を喧伝して政府を非難している。なお彼らは自らを「保守派」と称しているから、言葉の正しい意味での「保守派」に対する誤解も、国民の中に生まれていくことになっている。

 彼らは自衛隊法61条が、「自衛官は政治的目的のために政治的行為をしてはならない」と、政治に関与することを厳禁していることを知らないのだろうか。それとも知りながら無視すればよいのだと、無法の立場から言動しているのであろうか。前空幕長の田母神氏が知らないはずはないのだ。自衛隊法61条は軍人を律する正しき法である。それは明治天皇が軍人に下賜した「軍人勅論」(1882年)1条の、「軍人は世論に惑わず、政治にかかわらず、ただただ一途に己が本分の忠誠を守り」と、明治憲法32条を正しく継承したものである。現政府の歴史認識を公然と批判、否定して根本から変革しようとした田母神氏の行動は、職責とは一切関係がないものであり、61条に違反するものであることは明白である。「シビリアン・コントロール」に反する。自衛官は政治的行動がしたかったら、自衛隊を辞めてから行わなくてはならない。

 なぜ軍人(自衛官)は政治に関与してはならないのか。政治的行動をとる軍人は、政府の方針や見解また社会一般の考え方などに強い批判を持ち、根本から変革していきたいと考えている者たちである。「変革派」であり「革新派」あるいは「反体制派」という政治的立場となる。軍人が自らの意思で自衛隊法61条を破って政治的行動をしていくとき、彼は「革新政治軍人」と化することになり、もしそれが放置されれば、彼が幹部であれば部下も影響されて革新政治軍人化していき、いずれ部隊そのもの、軍隊そのものが自らの独自の意思で行動する「革新政治機関」化していき得ることになる。もしそうなってしまえば、正しい意味での「限定づけられたシビリアン・コントロール(文民統制)」は不可能になってしまう。戦前のように「革新政治機関化(政治団体・政党化)した軍」の暴走が起こっていき得る。

 「シビリアン・コントロール」は、戦後日本では完全に誤った使われ方をしてきたが、正しい意味は、国民の負託を受け、法に支配される政治家(文民)が、軍隊の出動と停戦・撤退を決定するということである。内閣が防衛戦争の開始と終結を決定することを言う。しかし軍が自らの意思で動く政治機関化してしまえば、軍事力を有するから政府もコントロールすることが出来なくなり、シビリアン・コントロール(政治家の統制)は否定され、逆に独裁政党化した軍が政府(国家)を支配するようになってしまう。戦前昭和期の革新思想に洗脳された政治機関化した日本軍がそうであった。反米英の革新思想を持った近衛文麿首相と軍とマスコミによって、日本は亡国の寸前まで引っぱられていったのである。だから自衛隊法61条があるのだ。歴史の反省、教訓化である。自衛官は絶対に政治に関わってはならない。

 田母神氏は政府の歴史観は間違っているとして、61条を無視し、自らの地位を利用して、自衛隊を自分の歴史観(大東亜戦争史観というイデオロギー)を共有する自衛隊に改造しようと行動してきた。これは「国家のため」「国民のため」を掲げれば、法を無視しても自分の行為は正当化されると考える「革新政治軍人」に特有の考え方であり、国家の軍隊である自衛隊(正しい意味でのシビリアン・コントロールを受ける自衛隊)を「私物化」している意識から生まれているものである。さらに言えば、我々こそが真の日本の創造者で指導者だと考えているのであろう。戦前の「革新政治軍人」と同じ在り方である。地位の高い自衛官が革新政治軍人化し、もしそれが一定数を越えてくれば、自衛隊そのものが61条を踏みにじって「革新政治機関化(政治団体化・政党化)」していき得ることになる。私たちはそうならないように、芽のうちに完全に摘み取っておかなくてはならないのである。徹底した調査と自衛隊の教育と人事管理の抜本的な見直しが不可欠である。

 問題なのは、法と自由主義体制を守るべき保守派からの田母神氏批判が、「政治関与の禁止(61条)」の原点からなされていないことである。読売新聞が117日付夕刊の「編集手帳」で、「軍人勅諭」を引用しつつ、田母神氏の行為の問題点の核心は、「政治をないがしろにする空気はありや、なしや。その一点である」と批判したのと、櫻田淳氏が産経新聞の「正論」欄(117日)で「軍人勅諭」を引き合いに出して、「武官としての本分からも疑義のあるものではなかったか」と批判していたのが、例外としてあるだけであった(私が見た範囲内では)。

 政府も事件の重大さを全く理解していない。政府見解は「彼の行為は政治的目的をもった政治的行為ではないが」としてしまい、その上で「航空自衛隊トップという地位にある者が、政府の歴史認識を公然と批判する論文を寄稿するのは間違っており、文民統制上、問題がある」とするものであった。政府は田母神氏の行為が61条に違反することは認識しているはずである。しかし素早く処理してしまった方が国会対策上有利だとの判断から、こうした法を曲げた政府見解にしたのであろう。しかしこれは逆に将来に禍根を残すものになる。この見解に従えば、もっと地位の低い自衛官であればよいことになってしまうし、懲戒免職にもならないことになってしまう。政府見解は正されなくてはならないのである。

      1. 革命政党化した旧日本軍と大東亜戦争の真実

 私は大東亜戦争を支持する「右」の人、否定する「左」の人に、日本の歴史をもう一度根本から見直して欲しいと願っている。第一次大戦後から昭和にかけて、旧日本軍では中堅将校の一部が、北一輝らの天皇制社会主義運動や共産主義運動という当時の革新世論に惑わされて、「天皇制社会主義=国家社会主義」を信奉(洗脳)して、「革新政治軍人化」していった。彼らは明治憲法体制の日本を「革新(革命)」することを追求した。明治憲法の天皇制(立憲君主制。英国と同じもの)を否定して「天皇主権」(スターリンのような)を主張し、議会制民主主義と資本主義を否定して全体主義と統制経済(計画経済)を主張した。「統制派」はそれを「国防国家建設」というスローガンで表わした。完全に左翼思想である。だからこそ、彼らは対立する体制と国策(国際法と国際秩序の維持)を持つ保守主義=自由主義体制の米国英国等と敵対したのである。彼らは天皇を主権者と考え日本を祖国と考えたから、反共産主義・反ソ連も主張した。しかしこの点を除けば、共産主義とほとんど同じ思想であった。「右の左翼」であった。しかし彼ら統制派は大東亜戦争の中で、後述するようにソ連に対する立場を大きく変化させていった。

 中堅将校の一部が世論に惑わされ革新政治軍人化していったとき、米英協調路線を採っていた政府も軍主脳も、この明治憲法32条・軍人勅諭に違反する「政治的目的をもった政治的行為」を禁止し抑圧することがなかった。放置してしまったのである。その結果、革新政治軍人は増加し、軍そのものが革新政治機関化=「革新(革命)政党化」していくことになってしまったのである。

 1931年の3月事件、9月の満州事変、10月事件、1932年の515事件、1936年の226事件等は、軍による、自由主義の明治憲法を破壊し、明治憲法の天皇制を否定し、自由主義の政党政治(議会制民主主義)を打倒し、資本主義経済を圧殺し、全体主義・統制経済の天皇制社会主義国家の樹立を目指す革命蜂起であった。満州事変も、それに連動して日本でも革命蜂起(10月事件)をするためのものでもあった。彼らは「国家革新」とか「国家改造」と称した。軍が革命運動のリーダーになったことにより、民間の「右の左翼」も飛躍的に拡大していった。「右翼」とか「国家主義団体」と言われているものは、全て左翼である。「右の左翼」である。当時の資料をいちべつしてみれば歴然としている。226事件後は、「統制派」が陸軍中央を支配して、上からの革命=「国家改造」を進めていった。日本は1930年代に天皇制社会主義という左翼国家に革命されてしまったのである。憲法を厳守された保守主義者=自由主義者の昭和天皇は、これに断固反対なされ抵抗なされていた。

 天皇制社会主義国家日本の対外政策は、当然のこととして反ソ連、反米英、反蒋介石(米英が支援する)となった。国際法と国際秩序は米英ら自由主義・資本主義陣営がつくった誤ったものであり、打破すべきものだと考えられた。侵略主義であるが、彼らはそうは考えなかった。「国際新秩序」を創出するのは正当な権利だと考えたのである。それが後の、日本を盟主とする国家社会主義体制の連合体である「東亜新秩序建設」=「東亜共同体建設」、「大東亜新秩序建設」=「大東亜共栄圏建設」であり、そのための「自存自衛の戦争」「聖戦(革命戦争)」であった。

 一方の共産主義勢力はスターリンの秘密指令により、日本を支配する天皇制社会主義勢力の思想を借りて正体を偽装し、政府や陸海軍やマスコミ機関に潜り込み、活動していったのである。ほとんど共通する思想だから偽装は難しくなかった。在日ソ連大使館を拠点に謀略活動を展開するソ連軍参謀本部情報局(GRU)は、共産主義者をGRU工作員に仕立て上げていった。獄中に囚われていた日共党員も、「天皇制打倒は間違いだった。放棄する」と天皇制社会主義者に偽装転向して、早期に社会復帰を果していった。政府は彼らを同志と考えて、軍やマスコミ等に職を斡旋している。共産主義者の近衛文麿は天皇制社会主義者に正体を偽装して、3度にわたって内閣を組織した。近衛の周りには多くの正体を偽った共産主義者が結集していた。当然近衛はスターリンの指示を受けていた。

 近衛ら日本の共産主義者はスターリン、毛沢東と謀って、天皇制社会主義勢力の反米英蘭仏、反蒋介石と「東亜共同体建設・大東亜共栄圏建設」の国家目標(この「東亜新秩序建設」「東亜共同体建設」「大東亜新秩序建設」「大東亜共栄圏建設」のスローガン自体も、隠れ共産主義者の近衛文麿の内閣によってつくられたものであるのだが)を利用しつつ、自らの戦略目標の実現を追求していった。ソ連、日本、中国の共産主義者は、アジアから英米蘭仏ら自由主義国・資本主義国を撃退し、米英らが支援する自由主義・資本主義の蒋介石国民党政府を打倒して、中国を共産化し、東南アジア・南アジアを共産化ないしソ連の勢力圏とし、また日本を米英蒋介石との戦争で敗北寸前に追い込んで、ソ連軍を導入して終戦を実現し、ソ連占領下で日本を共産化する、という目標を立てたのである。近衛ら共産主義勢力はそのために大東亜戦争(日中戦争と太平洋戦争)を推進していったのだった。共産主義者は正体を偽装して首相周辺、陸軍、海軍、外務省や企画院などの政府、そしてマスコミ等に配置されていた。

 北支(中国)の小さな衝突(193777日の盧溝橋事件)を「北支事変」にし、そして「日支事変」に拡大し、「蒋介石を相手にせず」(38116日)と声明して和平の途を閉ざして戦争を長期戦化・ドロ沼化していったのも、近衛内閣である。盧溝橋事件は蒋介石軍・第29軍に潜入していた中国共産党員兵士が、スターリン・毛沢東の指示により挑発発砲して起こった事件であるが、711日の夜9時(日本時間)には現地で停戦協定が調印・発効したのである。しかしスターリンの指令を受けている近衛首相は、これに呼応して同日夜9時から10時半にかけてマスコミ代表、政界代表、財界代表をそれぞれ順に招いて、「北支事変が起こった。内地の3個師団を派兵する」と大々的に宣伝して、7日と8日の2日間で終結した小さな事件を「北支事変」にしてしまったのである。戦争に発展させ拡大するためにである。関東軍参謀長・東条英機は78日午前5時に、参謀会議を召集して、「関東軍は北支那駐屯軍を督励し、一挙に北支那を占領すべきである」との方針を決定している。天皇も中央の参謀総長も無視した方針決定である。

 スターリン・毛沢東は89日上海で、蒋介石軍に潜入している共産党員のご警備司令官・張治中に命じて、日本の海軍陸戦隊の大山中尉と運転手の斉藤一等水兵の2名を射殺させた。この翌日の10日、近衛と米内海相は閣議で、中部支那の上海への派兵を渋る陸軍中央に対して、陸軍の出動を強く要請し、12日に2個師団の派兵が決っている。スターリン・毛沢東は814日には張治中に、日本海軍の第3艦隊の旗艦「出雲」、海軍陸戦隊本部、日本人小学校を爆撃させた。本格的は戦闘であり、その狙いは蒋介石国民党軍と日本軍とを戦わせるためであった。すると近衛と米内は呼応して、蒋介石の意図を探ることもせずに、翌15日に長崎と台湾から海軍機をもって渡洋爆撃を決行し、南昌と首都南京の飛行場を爆撃したのであった。スターリンと毛沢東と近衛文麿という共産主義者が連携して日中戦争を造り出している。

 近衛は92日には閣議で、全中国を戦域とする戦争を意味する「日支事変」に名称を変更している。近衛は同年12月、トラウトマンを仲介した和平交渉が成立せんとすると、日本側の要求を飛躍的につり上げて、和平を実質的につぶした(1214日)。そして38116日の「蒋介石を相手にせず」声明で、和平を完全に閉ざしていったのである。また、南進政策を海軍と一緒になって実行して太平洋戦争を不可避にしていったのも、近衛内閣である。共産主義勢力のこういう大謀略が可能になったのも、前述したような誤った革命思想と国家目標を持つ「右の左翼」の天皇制社会主義者が日本を簒奪してしまったからであった。共産主義勢力だけでは出来なかった。大東亜戦争(19377月以降)は「左右の左翼」が実行した革命戦争であり、日本も批准した9ヶ国条約、不戦条約に違反する侵略戦争であった。主導したのはスターリンの秘密指令を受けた近衛文麿ら共産主義勢力である。

 その結果、日本は310万の将兵と国民の貴い生命を失い、国土は灰燼に帰し、領土も奪われることになった。日本は1944年後半以降は最高戦争指導者会議や1945年には6巨頭会議で、日本ソ連およびソ連の勢力圏と認める中国3は団結して、戦後において米英と対決する必要があるをソ連に説示して、大東亜戦争はソ連の仲介によって日本に有利な形で終戦にする。そのために日本は多くの領土等をソ連に大譲渡することを決定していた(江藤淳監修『終戦工作の記録(下)』8182頁参照。日本は、日ソは反自由主義=左右の社会主義=全体主義ゆえに、「反米英」の共通利害を有すると考えたのだ)。だからもしも米軍の北上が数ヶ月遅れていたら、また米国が核兵器を開発できていなかったら、日本はソ連軍を導入してソ連主導で終戦を迎えて、ソ連に占領され共産化されていったことだろう。日本の滅亡である。近衛文麿が特使として訪ソすることが決まっていたのである。近衛はソ連仲介の対米英和平案として、日本軍の海外全占領地からの撤収と武装解除、連合軍による保障占領、満州、台湾、朝鮮、南樺太の放棄、さらに千島列島(得撫島以)、沖縄、小笠原の放棄、天皇の譲位、関東軍将兵の奴隷労働の提供等を計画していた。ポツダム宣言よりもはるかに過酷なものである。近衛の狙いは、「ソ連は日本のために尽力してくれる」と日本を騙して、戦後において「日ソ同盟」を結ぶこととして、ソ連軍に上記の占領地、領土を無抵抗で貢ぎ、ソ連主導で終戦を実現して、時を待ってソ連支配下で日本を共産化することであったといえる。大東亜戦争は「自存自衛」の戦争ではなく、国を亡ぼす国家叛逆の反日戦争なのであった。

 大東亜戦争はまた中国を共産化した。北ベトナムも共産化したし、ビルマは国家社会主義化した。インドはソ連と同盟することになった。大東亜戦争が掲げた「大東亜の解放」=「大東亜共栄圏建設」とは、欧米の植民地からの解放を意味するのではなかった。それらの地域を今度は反自由主義の共産主義化あるいは国家社会主義化(完全な独立国家ではない。満州国のように日本が「内面指導」するカイライ国家となる)することであったからである。これらが解放ではなく、更なる抑圧であることは明らかである。なお米国については既に1932年に、植民地のフィリピンを1945年には独立させることを決定していたから、日本が言う「解放」は説明できない。

 もし、「東亜新秩序建設」「東亜共同体建設」を掲げて展開された日中戦争(大東亜戦争)がなかったならば、中国共産党は蒋介石国民党政府によって壊滅させられていた。そうなっていたら、中国の国民や周辺の少数民族にとってはどんなに良かったことだろう。中国共産党は中国を手に入れて以降、8000万人以上を殺害している。しかし日本は蒋介石国民党政府と戦争をしていった。この戦争は蒋介石国民党政府を弱体化し、壊滅寸前にあった中国共産党を救済し、戦争中にその勢力を拡大させてやり、中国共産党を中国の支配者にする戦争であった。実際、戦後速やかにそれは実現された。だから中国共産党には戦前の日本を非難する理由は何もない。逆に日本に感謝しなくてはならない立場である。もちろん中共は全てを正しく理解している。その上で、米国と同盟する自由主義国家日本に罪悪感を植え付けて無力化、屈服させるために、大東亜戦争(日中戦争)の真実を知らないふりして日本を糾弾しているわけである。日本政府も国民も中共と日本の左翼の思想戦に敗北している。

 田母神氏や民族派は大東亜戦争を肯定し賛美しているし、民族派の「大きな声」のために、それに影響されてしまっている保守派も実に多いが、民族派も含めて大東亜戦争の真実を知ってもらいたいと思う。大東亜戦争を肯定することがいかに深刻に誤っているかを理解して欲しいと思う。また大東亜戦争を保守派がやった侵略戦争だと信じて日本を攻撃している共産主義者にも、戦争の真実を知ってもらいたい。大東亜戦争を実行していった「左右の左翼」は、戦後において、共産主義者は自らの行為を完全に隠し、天皇制社会主義者は「国家社会主義」の思想を完全に伏せて、ともに歴史を偽造してきたのである。私は保守派も民族派もリベラル派も共産主義者も、偽造された歴史観によって完全に洗脳されてしまっていると考えている。

 日本政府の「歴史認識」も誤っている。大東亜戦争は侵略戦争であったという表層の認識では正しいが、その「主体」(左右の社会主義勢力。主導は共産主義勢力)と「戦争目的」(アジアから自由主義・資本主義勢力を撃退させて共産主義化あるいは国家社会主義化する。日本もソ連を導入して占領化し共産主義化する)という核心において、認識を致命的に誤っている。共産主義者の場合はスターリンの指示を受けていたし、毛沢東とも連絡をとっていた。つまりソ連、日本、中国3国の共産主義者の連携したアジアと日本を共産化するための戦争であった。すなわち日本に対する侵略でもあった。また天皇制社会主義勢力による国家権力の簒奪も、自由主義国家日本への侵略であったわけである。さらに、スターリンの秘密指令を受けた米国の共産主義者たちの暗躍もあった。ハル・ノートを書いたハリー・デクスター・ホワイトがソ連の工作員であったことは有名である。ただし日本海軍の真珠湾攻撃の空母機動部隊は、ハル・ノートの1日前に択捉島から出撃しているのであって、ハル・ノートとは一切関係がない。ハル・ノートがあろうがなかろうが、真珠湾攻撃は既定の方針であったのである。連合国の「東京裁判」も、大東亜戦争の真実を把握することに全く誤ってしまっていた。日本政府は早急に誤った「歴史認識」を変更し、正しい歴史認識を獲得していかなくてはならない。これは政治の役割である。軍人の仕事ではない。

 第一次世界大戦後から昭和にかけて、一部の軍人が革新世論に惑わされて政治に関わり、「革新(左翼)政治軍人化」し始めていった時、ベルサイユ条約とワシントン体制下で米英との協調路線(親米英路線)を採っていた日本政府が、もし自由主義の憲法と軍人勅諭を厳守して断固たる措置を講じていれば、その後の歴史は違っていたはずである。軍の「革命政党化」は無かった。日本は法の支配を守って自由主義国家として歩み、日米英が協調して国際法と国際秩序を守っていっただろう。国家叛逆の反日の大東亜戦争(革命戦争)はなかったし、中共が支配する中国も誕生しなかった。その中共は近い将来、台湾だけでなく日本を侵略征服することを国家目標に定めている。(私は中川八洋教授の『大東亜戦争と「開戦責任」』『亡国の「東アジア共同体」』『山本五十六の大罪』等から多くを学んできた。是非とも一読していただきたいと思う。)

      1. 政治家と軍人の正しい関係

 「シビリアン・コントロール」(文民統制)という語は、戦後日本ではNHK、朝日、毎日、テレビ朝日、TBSなどの左翼マスコミ(共産主義)等によって、自衛隊を抑えつけるために使われてきた。反軍隊のイデオロギーを体現したものである。「本来のシビリアン・コントロール」から断固批判されなくてはならないものである。左翼は今後何かあれば、「田母神事件」を持ち出し、誤った「シビリアン・コントロール」も使って、日本が軍事において正常化していくのを阻止しようとしてくるだろうが、私たちは絶対に負けてはならない。そのためには、政治家と軍人の正しい関係やシビリアン・コントロールの正しい意味について理解を深めていく必要がある。

 国家の安全と独立は、政治と軍事の両方で守っていくものである。日本の軍事は悲惨な状態にある。これは第一義的に政治家の責任である。政治家が左翼マスコミが作り出す誤った世論と闘わず屈服してきた結果である。世論と闘い、世論を指導していくのは政治家の仕事である。政治家の第一の法的責務は国防(軍事)であるから、国防問題に真剣に取り組まず、軍事に関する知識も欠落している政治家は、政治家として失格である。そのような政治家には「シビリアン・コントロール」を語る資格はない。欠格政治家が「シビリアン・コントロール」を実行すれば、それがねじ曲げられてしまい、軍事は崩壊していく。反軍隊の日共や社民党は問題外だが、民主党議員の大部分もこの点では政治家失格である。政治家と軍人の正しい関係のためには、まず国防の責務を政治面から十全に果たし得る、軍事にも精通している立派な政治家の存在がなくてはならない。

 憲法9条は自衛目的のための軍隊の保有を容認しているから、日本の自衛権(個別的・集団的自衛権)は法的に米国や英国と全く同等である。これが正当な9条の解釈であり、歴代内閣の解釈は反国防・反国家の誤りである。政治家が政治生命を賭して臨めば、一週間もあれば9条解釈を正しいものに是正する閣議決定を出すことはできる。こんな簡単なことが今日まで出来なかったのは、政治家が左翼マスコミが作る偏向世論に屈服してきたからである。国民にも国防の責務があるから、誤った9条解釈を是正しようとしない政治家には大きな抗議の声を挙げていかなくてはならない。政治家は直ちに9条を正常化し、自衛隊を国防軍と規定し、専守防衛政策・戦略を撤廃し、自衛隊法等を軍隊用のものに一括改廃しなくてはならない。

 ロシアや中国に対する国防のためには、相手の対日核戦力からして日本の核武装は不可欠である。米国の核の傘があろうとも、日本の核武装は不可欠である。英国、仏国も核武装しつつ米国の核の傘の提供も受けて、国を守っているのである。日本は早急に核武装を開始し、日本の安全を守る日米共同の2段階核戦争戦略を構築していく必要がある(既に何度か書いてきたので参照して頂きたい)。反核を唱えるマスコミや団体はほとんどは左翼の反国家勢力であり、反憲法存在であり、主なものは背後で中国やロシアとつながっている存在である。その行為は「外患誘致罪」(刑法81条)の「予備や陰謀罪」(88条)に該当するものだ。政治家は左翼と闘い、核武装を主張して国民を指導していかなくてはならない。核武装を主張できない政治家は、政治家として失格である。政治家が団結して国民を指導すれば、国民は容易に核武装を支持するはずである。

 政治家と軍人の正しい関係のためには、「絶対に政治に関与しない精強なる軍隊」の存在がなくてはならない。しかし政治家が左翼マスコミ等に屈服し操縦されてしまい、前記の基礎的な政治課題を実行できないようでは、精強なる軍隊は創られない。政治家とそれを応援する国民の責任は重大である。政治家も国民も左翼マスコミ等と闘う義務があるのだ。

 自衛隊の主任務は国防と海外邦人の生命・財産を守ることである。これを軍事面から行うことである。だから政府は、国防や拉致被害者の救出あるいはアフガニスタンやソマリア沖での活動など軍事的な問題においては、自衛隊(軍人)のトップである統合幕僚長や陸海空の3幕僚長を政府委員にして国会で、軍事専門家として見たときの見解やデータ(機密情報は除く)を表明させていくようにしなくてはならない。国会議員と国民の理解を深めるためである。例えばロシアや中国の対日核戦力はどのようになっているのか。両国から日本の安全・独立を守るためには、同盟国米国の核の傘を前提にしても、日本の核武装は必要不可欠なのかどうか。通常戦力の整備はどうしたらよいのか。こうしたことを政府(防衛大臣)と軍人のトップが事前に協議した上で、政府委員として表明させていくようにしなくてはならないのである。4幕僚長は職責としてこれを行っていく。また軍人は政府がためらっているときは、要請していかなくてはならない。それは職責である。米国等ではごく当たりまえに行われていることである。政治家と軍人の強い信頼関係と、各々の職掌分野を守った良好な協同関係である。

 ところが日本では長年、防衛省(庁)内局の背広組官僚が制服組を統制することを、「シビリアン・コントロール」だとねじ曲げてきた。これは単なる官僚(背広組)支配であり、シビリアン・コントロールに違反している。軍事の専門知識もない彼らが政府委員になってきた。それは防衛大臣(長官)が他の閣僚よりも地位が低く、より短期間でコロコロ交代させられて「お飾り」と化してきたことによって助長されてきた。政治家は防衛大臣の地位と権威を高め、任期も長くするようにしなくてはならないし、4幕僚長を直ちに政府委員にする制度を創設しなくてはならないのである。また政治家は4幕僚長を「認証官」としなくてはならない。政治家には軍隊の栄誉を守る職責があるからだ。政治家には軍隊(軍人)が国民に崇敬されるようにしていく責務がある。軍人は政治に関与してはならないからである。自衛隊の最高指揮官である総理大臣は、殉職した自衛官の慰霊祭に出席しなくてはならない。政治家は反自衛隊のプロパガンダをする左翼マスコミを放置していてはならず、徹底的に非難しなくてはならないのである。左翼というのは客観的に、日本を侵略占領することを国家目標にしている中国やロシアの尖兵なのである。

 「シビリアン・コントロール」(文民統制)とは、総理大臣が防衛大臣の人事権を持ち、防衛大臣が自衛隊(背広と制服)の人事権予算案策定権を持つ。そして法に支配された政治家が戦争の開始と終結を決定することを言う。このように政治家の優位は確固としてある。軍の独走を阻止するためである。しかしシビリアン・コントロールとは、政治家が軍事(人)の全てを統制するという意味ではない。例えば、対露対中の国防のために核武装を開始していくとき、いかなる核兵器を何基位配備するのが軍事的に合理的であるかを決定していくとき、政治家はこの方面の専門知識が不足しているから、軍人の見解を尊重すべきである。軍人としても国防の職責を負っているのであるから、軍事的に正しいと信じるところを遠慮することなく主張し、政治家が誤っていれば指摘し正していくべきである。これが政治家と軍人のあるべき関係である。厚い信頼関係とバランスのとれた協同関係がそれである。シビリアン・コントロールとは、軍人は政治家が主張することを、ただ受け容れていればよいという意味ではないのである。もちろんあくまでも軍人の職掌分野の軍事においてである。

 かつてのベトナム戦争において、米国のマクナマラ国防長官は軍事作戦に過剰に介入した。軍事作戦に様々なナンセンスは制約を課したのである。そのために軍人のトップに任せておけば勝利できた戦争なのに、敗北という結果になり、米国の国益を大きく大きく損なうことになってしまった。戦争開始を決定した後の軍事作戦は、基本的にプロフェッショナルの軍人トップのイニシアチブを尊重していくのが正しい。そこに政治家の優位を持ち込んで介入していくのは、軍事作戦の失敗や敗北を招き、国益に反する。もしも軍人(トップ)が明らかに相応しくない作戦をしようとしていたら、政治家は人事権を握っているから解任すればよいのである。

 政治家と軍人のあるべき正しい関係とは、厚い信頼関係とバランスのとれた協同関係だといえよう(中川八洋教授『中国の核戦争計画』)8章参照)。その意味で「シビリアン・コントロール」(文民統制)の語は、軍事の全てを政治家が統制するというように誤解されるので、注意が必要である。「政治家と軍人のあるべき正しい関係」としてとらえ直した方がよいだろう。

 1978年、当時の栗梄弘臣統合幕僚議長が週刊誌上で、「現行法では敵の奇襲攻撃には対処できない。第一線部隊指揮官が超法律的行動に出ることはありうる」と発言して、金丸信防衛長官によって解任された。1981年には、竹田五郎統幕議長が月刊誌上で、専守防衛改策・戦略の問題性を指摘して処分された。これは国防という自衛隊のトップとしての職責に基づく発言であり、完全に正当な行為である。軍事の立場から国防のために法制度の整備を促したのであった。国防のための法制度の整備をさぼりつづけてきた政治家こそが、法的責務に違反しているのである。栗梄氏や竹田氏の発言をとらえて処分した防衛庁長官こそが誤っていたのである。左翼マスコミはこれを「シビリアン・コントロールに反する」と糾弾したが、政治家は屈服し操縦されて両氏を処分したのであった。この事件は戦後日本において、「シビリアン・コントロール」の語がいかに歪曲されて使われてきたかを示している。なお革新政治軍人の田母神氏の行動は、これとは全く異質である。職責とは全く関係がない。たとえ総理大臣が軍の最高指揮権を持っていても、もしも軍が革新政治機関化してしまったら、もはや誰も抑えられなくなるのである。従って軍人は絶対に政治的行動をしてはならないのである。2009126日記220日掲載・36日一部誤字等訂正


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