北海道庁爆破事件・再審請求裁判につ いて


(1)札幌地裁へ提出した意見書を掲載していただくにあたり、少しばかり説明させていただきます。裁判の経過は紹介文の通りです。

 死者2名、負傷者95名という惨憺たる結果をもたらしたこの道庁爆破テロ事件(1976年3月2日)は、除草剤(塩素酸ナトリウム)を主剤として木炭粉 末と硫黄粉末を75対15対10の重量比で混合した火薬を用いた消火器爆弾でした。この混合火薬は爆弾教本に載っているものであり、1974年、75年の 首都圏の連続企業爆破でも使われた代表的な火薬です。

(2)76年7月2日夜、私の友人のAが岐阜県可児町の山中で警察官の職務質問にあい、未開封の5s入り除草剤の袋2つと木炭粉末と硫黄粉末等を遺留して 逃走する事件が発生しました。可児町事件といいます。当時札幌市で二重生活をしていた私は、指名手配されたAの「立ち回り先」として、北海道警察によって 7月20日頃から極秘に監視されることになりました。

(3)私は除草剤は未だ入手出来ていませんでしたが、木炭や硫黄粉末、また消火器や器具、工具など爆弾製造に必要なものの一部は持っていました。だから私 は8月6日からそれらをゴミステーションや山中に投棄して本州へ逃げ、地下に潜ろうとしました。私が尾行に気づいたのは8月7日の夜でした。そのため投棄 物は押収されてしまい、8月10日に苫小牧港からフェリーで東京に向かおうとするところで逮捕されました。

 道警の幹部は8月7日に、押収した投棄物を見て、私に道庁爆破の容疑をかけました。私が北海道を離れる動きを見せていましたから、道警は「投棄物の一部 か ら除草剤付着の反応があった」とする「総合捜査報告書」をデッチ上げるなどして、8月10日の昼過ぎに、爆発物取締罰則3条違反容疑(爆発物の製造に供す べき器具の所持)で逮捕状を取っています。別件の逮捕状です。私がアパートを引き払って車で苫小牧へ向けて出発した頃です。

(4)証拠の捏造について述べます。道警は76年4月頃までに、道庁爆破の時限装置に使用された旅行時計のネジのうち、「リン止めネジ」2本が犯人の元に 残っていることを把握していました。道警は私を犯人に仕立て上げるために、8月10日の逮捕後の私の居室の家宅捜索時に、リン止めネジ1本を、部屋に残し てきた布団袋の中に紛れ込ませて証拠を捏造しています。

 私は消火器2本を所持していて山中に捨てました。押収されました。道警は、本件消火器爆弾の消火器の胴体部分の破片に「ラベル痕」を捏造して、私が所持 していた消火器と「同一形式」のものが本件でも使われたのだと証拠を偽造しました。

 この鑑定の嘱託は76年3月と4月なのに、鑑定書が出来上がったのは9月であり、私の逮捕の1ヶ月後になっています。本当の鑑定書は嘱託から1ヶ月後位 には出来上がっている筈です。道警はその鑑定書を隠し、ラベル痕を捏造して新たに鑑定書を偽造してすり替えたことが、これらから明白です。

 道警は、私と友人のAが3月2日の朝、バッグを持って道庁へ入っていき、2分後にバッグを持たず慌てて出てくるのを見たという目撃証人をデッチ上げてい ます。その人物に私のモンタージュ写真もつくらせています。控訴審において、事件当日、Aは関西の飯場で働いていたことが明らかになりました。

 私にそっくりなモンタージュ写真なのに、私の内偵を始めたときには誰もそのモンタージュ写真を持たされていませんし、8月7日に投棄物を見てはじめて 道庁爆破の容疑をかけているのですから、モンタージュ写真が私の逮捕後に捏造されたことは明らかです。8月9日に作成された前期の「総合捜査報告書」にも モンタージュ写真は出てきません。

 投棄物の中にも、居室からも除草剤は一粒も発見されていません。木炭や硫黄粉末は多く発見されています。混合火薬をもし本当に作ったならば、その痕跡が 必ず残ります。私が投棄した軍手やビニールシートやカーテンやスプーンや計量カップなどは(混合火薬を作るのに用いたとされています)、洗ってなく汚れた ままのものですが、木炭粉末の付着はありましたが、除草剤の付着反応はありませんでした。居室も隅々まで脱脂綿で拭き取って鑑定していますが、木炭片はあ りましたが除草剤の反応は全くありませんでした。除草剤は木炭の5倍を使うのですから混合火薬を作ったのならば木炭以上に付着していなくてはならない筈で す。

 だから道警は、ビニールシートとカーテンの2点から除草剤の反応が検出されたという鑑定書を捏造することにしたのです。8月28日付の「山平鑑定書」で す。逮捕後18日も経っています。この日付からも捏造鑑定書であることが判るでしょう。

 道警は他にも多くの証拠を捏造しています。こうして私は道庁爆破事件で、9月1日に再逮捕されて9月23日に起訴されることになりました。私は一貫して 黙秘を貫きましたが。

(5)確定審においては、私たちは目撃証言については粉砕できましたが、前記した製造関係の捏造証拠は科学的には粉砕することはできませんでした。そして 私自身がデッチ上げを主張しつつも、道庁爆破を支持したり、反日亡国の主張を法廷を利用して展開してきたために、有罪死刑判決が確定しました。

(6)再審請求審では、10人の弁護人とともに除草剤付着の鑑定=山平真鑑定が捏造であることを主張してたたかってきました。弁護人は再審請求書の他に再 審請求補充書を(一)から(十)まで提出しています。

(7)公正な裁判がなされるならば、来る3月には「再審開始」の決定が出る筈です。期待したいです。

 2004年9月には山平真氏の証人尋問が行われました。再審請求審で証人尋問が行われることは極めてまれです。死刑事件では私が5件目であり、他の4 件は全て再審開始となり、再審で無罪が確定しています。

 山平氏は9月の新証言で、確定審での自らの証言をことごとく覆しています。鑑定人自身が鑑定の信用性を否定し、「鑑定の不存在」を間接的に明確にしたの です。山平氏は実際には鑑定は行っていません。しかし幹部に命じられて嫌々偽造鑑定書を作成することになりました。しかし山平氏は、デッチ上げという犯罪 加担を拒否するために、捜査段階においても確定審においても、間接的な形で「山平鑑定」の信用性を否定して「山平鑑定の不存在」を明らかにするべく行動し てきたのでした。私は意見書でそのことを証明しました。

(8)除草剤がなければ混合火薬は製造できず。、爆弾を製造することは出来ません。私は一貫して除草剤を入手出来ておらず無実であることを主張してきまし た。確定判決で除草剤所持の唯一の直接証拠とされた「山平鑑定」が、新たな証拠(山平新証言等)によって明確に粉砕されたのですから、私の無罪は明白で す。

 私たちは刑事訴訟法435条の1号(証拠書類の偽造、変造)、2号(証言、鑑定の偽造)、6号(無罪を言い渡すべき明らかな証拠の新たな発見)の再審理 由を主張しました。同条各号の再審理由があることは明々白々です。再審開始決定がなされなくてはなりません。

(9)道警が証拠を捏造しなければ、私は逮捕されることはありませんでした。少なくとも起訴されませんでした。そうすれば私は、地下に潜って、反日亡国の 非合法闘争(テロ)を戦っていったことは間違いありません。

 道警は日本社会を防衛したのでした。このことは確かです。だから、保守主義者に転向してかつての自分の思想・行動を全面否定している私は、当時のデッチ 上げを非難する気持ちは全くありません。私が狂った左翼思想を自己否定して転向することが出来たのも、デッチ上げ逮捕・起訴・判決があって、獄中で一人で 沈思黙考することが出来たからでした。

 しかし私は左翼思想を否定し転向を成し遂げました。もはや裁判に「社会防衛」の観点は不要です。すみやかに再審開始決定がなされなくてはなりません。

 私はかつての誤りに満ちた左翼としての自己の言動に対して責任をとっていくためにも、自由な祖国日本とその法のために、全力を尽くして貢献していきたい と考えています。
(2007年2月26日記)

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